問い合わせにお答えして(私の返信メールの一部です)
<生涯>
家族は? | |
初恋の相手は? | |
シューベルトは貸しピアノで作曲したのですか。 | |
シューベルトのライバルの作曲家は? | |
時代背景などをたくさん教えてもらえませんか? | |
死因は? | |
どうして腸チフスになったの? |
<作品>
作品番号 | |
交響曲の番号 | |
「未完成」「グレート」以外の有名な交響曲は? | |
カール・ベーム指揮の「未完成」は演奏時間が短いのにテンポが遅いのはなぜ? | |
交響曲第8番はなぜグレートというの? | |
「グレート」は演奏しにくかったのですか? |
<その他>
リートと通作歌曲とは | |
参考資料を教えて下さい。 | |
調べ学習のまとめるポイントは? | |
参考資料として使わせていただけますか? |
Q:シューベルトの家族構成(奥さんや父親や子供や兄や姉などどのような家族構成)だったか詳しく教えてください。
A:シューベルトは、生涯独身だったので奥さんや子供はいませんでした。
父親は、フラン・テオドール・シューベルト(1763〜1830)学校の先生・経営者でした。
母親はマリア・エリザベート・フィーツ(1756〜1812)。シューベルトが15歳のときに亡くなっています。
この父と母のとの間に生まれた子供は14人でした。下のとおりですが、成人したのはシューベルトを含め、5人しかいません。参考までに亡くなった年齢を入れておきます。
イグナツ・フランツ 1785〜1844 61歳
エリーザベト 1786〜1788 2歳
カール 1787〜1788 9ヶ月
フランチスカ・マグダレーナ 1788 2ヶ月マグダレーナ 1789〜1792 2歳
フランツ・カール 1790 1ヶ月
アンナ・カロリーナ 1791 14日
ペトルス 1792〜1793 6ケ月
ヨーゼフ 1793〜1798 5歳
フェルディナント・ルーカス 1794〜1849 54歳
フランツ・カール 1795〜1855 59歳フランツ・ペーター 1797〜1828 32歳(シューベルト自身)
アロイジア・マグダレーナ 1799 1日
マリア・テレジア 1801〜1878 76歳
父親は、1813年にマティアス・シュレーダー(1783〜1860)と再婚をしています。父親の再婚によって生まれた子供たちも参考までにあげておきましょう。
マリア・バルバーラ・アンナ 1814〜1835 21歳
ヨゼファー・テレジア 1815〜1861 46歳
テオドール・カイェタン・アントン 1816〜1817 7ケ月
アンドレアス・テオドールス 1823〜1893 69歳
アントニウス・エドアルドゥス 1826〜1892 66歳
Q:シューベルトの恋話でも書こうかな〜って思ったので、シューベルトの恋した人の名前を教えてください。
A:初恋の相手は、テレーゼ・グローブ。
シューベルトは1814年(17歳)、ミサ曲第1番を書き上げました。リヒテンタールの協会で演奏されました。そのときソプラノのソロを歌ったのが彼女です。3歳年下でした。
テレーゼの家族とシューベルト家は親しかったそうです。美人というほどではないが、気立てのよい娘だったようです。
シューベルトは思いを寄せていたようですが、結婚まではいたりませんでした。貧乏な芸術家だったからとよく言われます。(そうでしょうか、よく調べたいものです)
1820年、テレーゼはパン職人と結婚しています。
Q:シューベルトは20歳ぐらいまでずうっと貸しピアノで曲が売れた時に初めてピアノを買ったって聞いたんですけど本当ですか…?
A:結論。おそらく貸しピアノを使用していたでしょう(1817〜1828年)。しかし、私の推測です。
幼少の頃、シューベルトは兄にピアノの手ほどきを受けています。この頃の住居は、父親の経営する学校と兼用だったので、学校にあるピアノがあったと思われます。
1808年から1813年には、シューベルトはコンヴィクトという学校に在籍しました。寄宿生活だったので、学校のピアノが使えたと思います。
その後、声がわりとともに家に戻り、父の学校の助教員になります。1816年(19歳)まで、シューベルトは家族と一緒に住んでいました。1814年には、父からピアノを贈られたようです(喜多尾道冬著 「シューベルト」 朝日選書p51)。
これは、シューベルトの初恋の人、テレーゼ・グローブがソロをつとめたミサ曲第1番に関係ありました。この演奏会は、リヒテンタール教会の創立100周年を祝う演奏会で、宮廷楽長サリエリ(シューベルトの師匠)も出席するという盛大なものでした。大きな名誉に喜んだ父親は、息子に最高級のピアノを贈ったのです。
※ ところで、資料に矛盾があります。1815年に作曲された有名な『魔王』の作曲のエピソードで、友人のシュパウンが「家にはピアノがなかった」といっています。父親からピアノを贈られたのが事実とすれば、明らかにおかしい。後日検討したいと思います。
1816年のクリスマス、シューベルトは友人の家にいついてしまいます。そこから助教員をやめ作曲家の道を目指します。せっかく買ってもらったピアノも実家に置いたままとなります。
その後、友人の家に長く泊めてもらったり、ピアノ付のアパートを借りた記録もあります。1822年のシューベルトの部屋のスケッチがありますが、ピアノが描かれています。
1828年、シューベルトの死の年(31歳)の3月26日、自作の演奏会を開き、成功を収めます。800フローリンの利益から借金を返し、残りでピアノを一台買いました(渡邊学而著 「フランツ・シューベルト」 芸術現代社p115)。このときまで、貸しピアノだった可能性は強いと思います。
Q:学校の夏休みの課題で、「F・シューベルト」についての課題を調べるのに、「シューベルト!」を参考にさせて頂きました。2つ、調べきれなかった項目があるので教えていただけますか?
1つ目は、シューベルトのライバルの作曲家です。
2つ目は、シューベルトの曲が聞けたりする、TV番組とかってナイんですかね?
最低、1曲は聞かないといけないのですが・・・↓
できれば、教えて下さい!!!
A:残念ながら、シューベルトのライバルといえるような人物は思い浮かびません。
あえてあげれば、ウェーバーとロッシーニです。
ウェーバーとは最初よい交友だったようですが、シューベルトが無神経に彼の歌劇「オイリアンテ」を批評して仲が悪くなってしまったようです。
ロッシーニとは面識がありませんでしたが、当時のウィーンではロッシーニのオペラが大流行で、シューベルトの歌劇はあまり上演されなかったようです。シューベルトはロッシーニの音楽には敬意を払っていたようなので、ライバルといえるかどうか。
2つ目の質問にも答えるのは難しいです。そのような番組を知りません。ただ、CMにはかなり使われているようで、アヴェマリアや野ばら、子守唄など耳にしたことがあります。
シューベルトの音楽を聴くのであれば、図書館でCDを借りるのが一番よいと思います。
Q:中学校の宿題でシューベルトについて調べることになったんですけど、
シューベルトの生きてきた時代背景などをたくさん教えてもらえませんか?たとえばシューベルトの通っていた学校は国立で戦争が盛んになったせいでお金が回せなくなってシューベルトはそれにより苦しんだなど・・・
よろしくお願いします
A:3冊の本を紹介します。
エルンスト・ヒルマー著、山地良造訳「シューベルト」(音楽乃友社)
この本には詳しくシューベルトの時代の音が書かれています。たとえば、メッテルニッヒ体制と呼ばれるナポレオン戦争後のひきしめ体制が精神的活動に大きく影響したこと、当時のウィーンは物価が高く、貨幣の種類が2種類あったこと、市民の経済格差が大きかったことなどです。
チャールズ・オズボーン著、岡美智子訳「シューベルトとウィーン」
第2章は「会議は踊る」という題名で、1814年のウィーン会議について述べられています。
喜多尾道冬著朝日選書584 「シューベルト」 朝日新聞社
当時、ワルツが大流行していたことなど述べられています。
Q:シューベルトは、何の病気で死亡したのですか?教えてください!
A:定説では腸チフスということになっています。http://www1.odn.ne.jp/aaj25640/death.htmには水銀中毒だと書いてあります。驚き。
Q:シューベルトは、どうして腸チフスになったのですか。
A:
シューベルトの死因は、公式には「神経熱」ということになっています。これは、一般には病名のはっきりしないものによく診断されたもののようです。
「腸チフス」といわれているのは、発病から三週間くらいでしにいたったためだそうです。シューベルトがなくなったのは、1828年11月19日ですが、10月31日、兄のフェルディナンドと数人の友達と、「赤い十字架」というレストランで魚料理を注文しました。それを一口食べたところで、吐き気を催し、「毒が入っているようだ」といったそうです。その後、薬さえも受け付けず11月11日からは寝たままとなってしまったようです。
他説もあります。
ディーター・ケルナーというドイツの医学者は、限られた症状の記録から、性病(梅毒)の末期症状ではないかといっています。
死因を水銀治療によるものとする説もあります。http://www1.odn.ne.jp/aaj25640/death.htm
Q:リートと通作歌曲の意味を教えて下さい。
A: リートとは、ドイツ語で歌全般を指します。(lied、複数形がLieder(リーダー))
通作歌曲は、その反対の有節歌曲を先に説明するとわかりやすいと思います。
有節歌曲とは、同じ旋律が歌詞を変えつつ何回か繰り返されて作られたものです。わかりやすくいうと、1番、2番・・と番のある歌曲です。「津軽海峡冬景色」でいえば、1番は「上野発の夜行列車降りた時から〜」2番が「ごらんあれが竜飛岬北のはずれ・・・」というようなやつですね。
通作歌曲はこれに対して歌詞の内容によって、旋律がだんだん変化してゆき、単純に繰り返すことない形で作られた歌曲です。物語にあわせて、場面によってかなり変化をもつものもあります。シューベルトの「魔王」はこれにあたります。
Q:例えばD925などの作品番号の前についている、「D」はどのような意味でしょうか?
A:シューベルトの全作品の作品番号です。「ドイッチュ」と読みます。ほぼ作曲年代順に並べられています。末尾のほうは、時期が不詳のものが集められているようです。
「ドイッチュ」とは、オーストリアの音楽学者の名前で、シューベルトやモーツァルトについて、資料の原点に忠実な研究で知られています。ドイッチュについては、音楽辞典に紹介されています。⇒
Q:交響曲の番号が間違っているのでは?
A:1964年、ドイツのカッセルでシューベルトの研究とシューベルトの全作品の出版のために国際シューベルト協会が設立されました。
シューベルトの生誕200年を目標にシューベルトの全作品がベーレンライター社から出版されることとなりました。
「新シューベルト全集」といいます。
1978年にその全集の全容を示す「主題目録」が公刊されました。
その目録では、それまで第7番とされていたホ長調の交響曲のスケッチが交響曲のリストからはずされてしまったのです。
そのために「未完成」と「グレート」が1番ずつ繰り上がってしまったのです。
現在、この新全集の番号で統一される方向になっているようです。
NHKでも数年前から、「未完成」を第7番、「グレート」を第8番と呼ぶようになりました。
そこで私のホームページでもこの新全集番号にすることにしたわけです。
わたし自身は、シューベルトに親しむようになって30年以上になりますので、「グレート」が9番というほうが慣れているのですが・・・。
ちなみに、CD等の表記はまだまだ遅れているようです。
わたしのもつLP3枚とCD4枚は9番と表記されています。
スゥイトナー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団のものだけ8番(9番)と表記されています。
Q:シューベルトの交響曲で有名な曲って「未完成」と「ザ・グレイト」と他に何か有名な曲って何があるんですか?教えてください
A:交響曲第5番変ロ長調でしょう。「シューベルトのハフナー」と呼ぶ人もいます。モーツァルトの「ハフナー」交響曲が後期交響曲の転換点になったのになぞらえた呼び方です。
若干19歳で書かれました。みずみずしく伸びやかな楽想をもちます。編成もティンパニ、トランペットはもたず、フルートも1本の小さな編成です。
Q:私は「未完成」が気に入っており、テンポの速い「未完成」を聴きたくて、演奏時間の短いカール・ベーム指揮、ウィーン・フィル(1977年録音)のものを選んで購入しました。ところが、演奏時間の長いのショルティ指揮、ウィーン・フィル(1984年録音)よりもさらにゆっくりではありませんか!(1楽章の演奏時間ベーム→12:47、ショルティ→15:46)これはなぜでしょうか。
また、まったりと浸る「未完成」もいいけど、躍動感あふれる「未完成」も聴いてみたい!こんな私におすすめの作品があれば教えてください。
A:ショルティの演奏は聴いたことがないので、予想ですが、楽譜に指定された繰り返しを忠実に行ったのだと思います。最初の部分が2度演奏されていると思います。確かめてみてください。ベームの演奏は繰り返しをしていません。
シューベルトの楽譜には、第1楽章の前半部分に繰り返しが指定されています(リピートマーク)。この部分を主題提示部といいます。実際の演奏ではの繰り返しを省略することが多いのです。
私の持っているCDでは、ネヴィルマリナーのアカデミー室内管弦楽団の演奏は繰り返しをしており、14分59秒です。テンポは速めです。
テンポの速めの演奏は、カルロス・クライバー指揮、ウィ−ンフィルのものが名演です。機会があったらぜひ聞いてみてください。第3番とカップリングになっています。
Q:シューベルトの大ハ長調交響曲「ザ・グレイト」は作曲された当時、あまりに長すぎるという理由で演奏を拒否されたり、シューマンは「天国的な長さ」と評したと言われていますね。でもシューベルト以前にもベートーベンの「英雄」や「第9」といった壮大なスケールの交響曲が生まれているのになぜ、シューベルトのこの曲が「ザ・グレイト」といわれたのでしょうか。当時とりわけ長大なものだったのでしょうか? 「ザ・グレイト」の名の由来を教えてください。
A:「グレート」は、偉大とか長大とかという意味ではなく、「大きいほう」という意味です。というのは、シューベルトにはハ長調の交響曲が、グレート以外に30分くらいのもう1曲ありまして、それに対して「大きい方のハ長調交響曲」といわれたようです。
「グレート」は、意欲的に作曲され、ウィーン楽友協会(現在もある)に提出されました。楽友協会の演奏会で演奏される予定でしたが、演奏が困難(単調で効果の薄く弾きにくい音形が延々と続くなど)、長すぎるなどの理由で演奏拒否にあったようです。そして、代わりに「小さい方のハ長調交響曲」)が演奏されました。シューベルトの死後間もなくの演奏会だったようですが。 シューマンが再発見したのはシューベルトの死後ちょうど10年後で、メンデルスゾーンが初演しましたが、演奏しにくい、長大という演奏者側からの拒否はつきまとい、演奏は短縮版だったようです。
全曲が普通に演奏されるようになったのは、1900年代からのようで、特に人気が出てきたのはこの数十年のようです。
その大胆な曲の展開や天衣無縫さのびやかさとが、「グレート」の言葉の印象と一致してこの曲の愛称になったと考えられます。
シューマンの「天国的な長さ」とは、彼の著書「音楽と音楽家」の中で使われた言葉です。シューマンの愛読書のジャン・パウルの小説がとても長いのとならべて、読者にいつ終わるのか心配することなく豊かな感じをもたらすことを言っています。そして、シューベルトの管弦楽法をほめています。シューベルトを賛美する言葉だったのが、言葉が独り歩きをし、否定的な意味をも含む独特の有名な言葉になってしまったようです。
Q:ベートーベンの「第9」は「グレイト」よりもかなり長大ですが演奏拒否などにあわなかったのでしょうか?演奏しやすかったのでしょうか。
A: ベートーヴェンの晩年のウィーンでの名声は大変なものでした。ナポレオンとの戦争で経済的がひっ迫する状況においても、ベートーヴェンには年金を申し出る貴族がいたほどです。
また、1800年から11年間に8つの交響曲を完成、成功をおさめ、交響曲の大家としても不動の位置を持っていました。1824年の第9の初演も一時ベートーヴェンの意見でベルリンで行うことが検討され、ウィーンの愛好家たちが慌てたエピソードもあり、それくらい望まれていたものですから、演奏が難しかろうが、オーケストラから苦情がでても問題がなかったのでしょう。
しかし、シューベルトの場合は、当時から歌曲の作曲家としての名声が主でした。グレートの作曲当時、世に出た交響曲はありません(初期の交響曲は私的な集まりで演奏されました)。シューベルト自身が自ら大交響曲の作曲家を強く意識はじめたのは、グレートの作曲が開始される2年前の1824年でした。1827年にシューベルトはウィーン楽友協会の理事に選出されますが、まだ十分な名声はありません。楽友協会のオーケストラ(まだこの当時はウィーン・フィルとして組織されていないの楽員)は、おそらく歌曲作曲家、舞曲作曲家としての印象を強くシューベルトに持っていたのではないでしょうか。メンデルスゾーンの時代でもそうだったでしょう。だから、シューベルトのオーケストレーションに文句をつけやすかったのだと思います。
つまり、交響曲作曲家としてのシューベルト像は近年確立されたものということでしょう。
なお、1827年にベートーヴェンが亡くなった後、ポスト・ベートーヴェンの有力な一人と注目され始めたという意見もあります。しかし残念なことにシューベルトは翌年に亡くなってしまいました。
Q:私は中学1年生です!私は夏休みの自由研究で『シューベルト』について調べるんですがナカナカ良い資料が見つかりませんもし良ければ教えていただけませんか?
A:中学生によい本を中心に参考図書について述べます。
現在書店で扱っている本としては、シューベルト音楽散歩」(音楽の友社、稲生永著2300円)が、写真や図版が多く、とても参考になります。
渡邊学而著「大作曲家の知られざる横顔 」(丸善ライブラリー、660円)のシューベルトの項は読みやすいと思います。
音楽の友社の「作曲家別名曲ライブラリー シューベルト」はたくさんの作品を扱っていますし、生涯についても程よい長さの解説があるのでよいと思いますが、4200円と高額です。
本屋さんで手に入るものは限られていますし、取り寄せにも時間がかかり、高額なものが多いようです。学校や地域の図書館で資料を見つけるのがよいと思います。
まず、小学生でも読めるような伝記は小さい図書館にでもおいてあることが多いようです。シューベルトについてのエピソードは、やはり伝記が一番リアリティがあってよいと思います。
それから、平凡社の「音楽大事典」の第3巻のシューベルトの項は生涯についてとても詳しく、全作品目録もありますのでとても参考になります。
新潮文庫の前田昭雄著「シューベルト」もわりあい読みやすくよいと思います。前にあげた本屋さんで手に入る本も図書館によっては置いてあると思います。
他にもよい本がたくさんありますが、私のホームページの「参考文献」を参考にしてください。
ひとつアドバイス。
調べ学習には的をしぼることが大切です。
「シューベルトについて調べる」という目的だと広すぎます。太平洋に小船で漕ぎ出し、アメリカに行こうというようなものです。
調べ方も変わります。シューベルトの作品に焦点を当てるなら、名曲解説事典が適切ですし、ひとつの曲を詳しく調べるなら楽譜が必要になるでしょうし、生涯について調べるなら、音楽大事典などが調べやすいでしょう。シューベルトをめぐるエピソードなら伝記がよいと思いますし、シューベルトの時代や生きた地域のことを調べるなら前述の「シューベルト音楽散歩道」などがよいと思います。
最初に百科事典などで一般的な事柄について調べ、次にどこら辺をテーマにしていくか決めるとよいと思います。たとえば、「シューベルトと友人たちについて」とか、「シューベルトの天才をあらわす言い伝え」シューベルトの交響曲について」、シューベルトとベートーヴェンの交流」「シューベルトとゲーテ」などテーマをきめて調べ学習をするのはどうでしょうか。
Q:資料はこのホームページで集めることが出来たのですが。まとめるが苦手なのでポイント見たいのがあったら教えてください。
A:テーマを決めてみてはいかがですか?
調べた資料を全部報告するのではなく、テーマに基づいて資料を整理し、自分の意見・感想を加え、発表するのです。
いろいろなまとめ方があるとは思いますが、一例をあげます。
1、最初に百科事典で調べたり、「シューベルト」の伝記を読んだりして、シューベルトについてのあらましを知ります。このホームページを利用してもよいでしょう。
2、シューベルトについて得に興味を持ったことなどから「テーマ」を決めます。
たとえば、このHPの「生涯」のところで、1815年には145曲の歌曲を作ったというところに関心を持ったとします(実際すごいことですよね2日に1曲は書いているということですからね)。そこからテーマをいくつか考えてみます。
「1815年のシューベルト」「シューベルトの歌曲」「速筆のシューベルト」など、どうでしょうか。
3、1つのテーマに絞り、それについて資料を集めます。
ここで図書館などフル活用するといいですね。テーマがはっきりしていると図書館の職員の方も調べ方のアドバイスをしてくれますよ。資料がない場合は、探している資料がどこの図書館にあるか調べてもらうこともできます。資料を求めて、他の町の図書館に出かけてゆくというのも夏休みならではの楽しい出来事ですね。ついでにその町をふらふらと散歩するのもいいですね。
どんな資料を手に入れたらよいかわからないときこそ、この掲示板に聞いてみるのもいいかもしれません。この掲示板には「シューベルトの名前は何といいますか」などの質問が多いですが、それはほんのちょっとの労力ですぐ調べられることですので、自分でやってもらいたいことです。自分で一生懸命調べたのだけれど、どうしても資料が見つからなくて困っている。そんなときに「1815年のシューベルトの作品を調べているのだけれど、その年に作曲した全作品を知るにはどんな資料にあればよいか」など聞いてほしいと思います。なお、私も専門家ではありませんので、お答えできないこともあると思います、また自分の本業が忙しくなかなか応答できないこともあります。そんな時、きっと手助けしてくれる人が出てくれるととてもうれしく思います。(それが掲示板の本来のよさだと思います)
話がそれました。この調べ学習の過程が、いろいろ発見があって楽しいものですね。
なお、資料を集める途中で、テーマが変わっていくのはかまいません。
ここではテーマを「1815年のシューベルト」としましょう。
・シューベルトは1815年には18歳にして、お父さんの学校の助教員をしていたこと。
・1814年には、それまで学んでいた学校を辞め、教員になるための学校に入ったこと。
・1814年にはミサ曲が初演され、とても好評だったこと。
・1816年には、音楽家を目指し家出同然のようになり、友人のショーバーのところにクリスマスから居候することになった。
・2曲の交響曲を作曲している。
・弦楽四重奏曲は1曲のみ。
・145曲の歌曲を作曲している。その中には、シューベルトの代表作として最も有名な「魔王」「野ばら」が入っている。
・27くらいの合唱曲を書いている。
・4曲のオペラ、1曲のカンタータを作曲している。
・2曲のミサ曲、6曲の宗教音楽を書いている。
(年代の書いてあるものは前田昭雄著、新潮社文庫「シューベルト」の年表を見ました。作品は平凡社の音楽大事典第3巻のシューベルトの項に出ている作品目録を見ました)
さあ、どうでしょう。この事実を並べただけで浮かんでくることがありますよね。そうです。シューベルトは学校を出て作曲家として身を立てようと懸命にそして誰もまねのできないくらいのすさまじいエネルギーで作曲活動をしたのですね。しかもお父さんの学校の助教員をしながら。意気揚々としたシューベルトが目に見えるような気がしませんか?18歳ですよ。この創作意欲にはこちらが勇気付けられるような気もします。
こんなことが、意見・感想ですね。ちょっと書き留めておきましょう。
4、まとめに入る前に、せっかく音楽家シューベルトを調べたのですから、CDなど聞いてみましょう。1815年のシューベルトなら、やはり「魔王」「野ばら」交響曲第2番、第3番あたりがすぐ手に入るところですね。聞いてみて、きっとはつらつとしたシューベルトの姿がさらに見えてくると思います。
5、まとめ方の構想を練ります。
調べた事実を列挙し、そして自分の意見を述べるのが基本形です。
冒頭に、このテーマにした理由をつけてもよいでしょう。
このテーマの場合は、1815年という特別な年を取り上げるので、「シューベルトの生涯のあらまし」や「シューベルトの主な作品」を述べておくのが必要かも知れません。すると次のような構成になるでしょうか。
1.調べる動機
2.シューベルトの生涯
3.シューベルトの作品
4.1815年のシューベルト
(1)1815年前後の出来事
(2)1815年の作品
@作品リスト
A主な作品 (数曲、代表的な曲を紹介する)
5.まとめ (しっかりと意見を述べる)
6.調べ学習をおえて (感想)
2.から4.は「事実」です。引用は正確に。また、他の著作を引用する場合は、四角でかっこったり、「 」でくくったりして、自分の表現とは明確に分けてください。参考にした書物の名前、著者、出版社などを明示してください。
5.は自分の「意見」、これが大切です。調べ学習でわかったことを書きます。6.は「感想」です。
また、小・中学生の場合は資料を引用するときに漢字の読み方がわからないまま、意味のわからないまま写すなど見受けられますが、最低限それらはなくしておきましょう。国語辞典や百科事典をともにして。パソコンの場合は、「ブックシェルフ」やCD−Rom
の百科事典「エンカルタ」などあると便利ですね。
Q:ここのホームページに書かれているシューベルトさんについてのことを音楽課題のレポートの参考資料として使わせていただけますか???もしよろしければお返事ください
A:どうぞお使いください。「引用」の条件を満たせば著作法上問題ありません。
引用についてはぜひ次のホームページなど参考にするといいですよ。
http://www.toshokan.or.jp/mihon.html
レポート頑張って下さいね。