地名辞典

ウィーン

Wien

オーストリア北東部にある同国の首都。オーストリア最大の都市で、連邦州のひとつを形成する。西に東アルプス山麓(さんろく)、東にドナウ河谷平野が広がり、ドナウ川が市中を貫流する。標高199mにあり、大陸性の気候で、年平均気温は10.6ーC、年降水量は686mmである。オーストリアの経済・文化の中心地として、国の総人口の約5分の1が集中している。人口は153万9848人(1991年)。

中世以来、6世紀以上にわたってハプスブルク家の統治下にあり、神聖ローマ帝国の政治・経済・文化の中心地のひとつとしてさかえた。1867〜1918年にはオーストリア・ハンガリー二重帝国の首都でもあった。第1次世界大戦後、オーストリアの領土が大幅に縮小したため、その重要性が低下した。第2次世界大戦では多大な損壊をうけたが、オーストリアの中立を保証する1955年の国家条約の調印後、ふたたび同国の商業・交通の中心としての重要性をとりもどした。

都市景観

中心部の旧市街は、かつては市壁でかこまれていた。市壁は1858年に撤去され、その跡にはリング大通りが建設され、道にそって重要な建物やモニュメント、公園がつくられた。特色ある建造物として、市庁舎(187283年建造)、ブルク劇場(187488)、大学(187383)、議会(1883)、国立オペラ劇場(186169)などがある。国立オペラ劇場は1945年に焼失し、55年に再建された。かつての宮殿ホーフブルクもここにあり、そのもっとも古い部分は13世紀にたてられている。ゴシック様式のシュテファン聖堂(1315世紀に再建)は旧市街の中心部に位置し、高さ113mの尖塔をもち、ウィーンのどこからでもみることができる。

リング大通りの外側には第2の市壁ギュルテルがあったが、これも19世紀後半、郊外の拡大とともにとりこわされた。郊外の住宅地はウィーンに編入され、放射状の道路網が旧市街と郊外をむすんでいる。今日、工場は主として南部と東部にある。ドナウ川の南をはしるドナウ運河は1880年代に完成した。旧市街の南の境界は運河に接し、運河とドナウ川の間の地区も重要である。ドナウ川をこえた地区には新たに国際センターが建設されている。

ウィーンの発展でもっとも重要な時期が187090年である。急激に人口が増加した時期で、1918年には約240万人に達した。しかし第1次世界大戦後、多くの外国人がウィーンをはなれた。

多くの記念建造物は、ウィーンの文化的重要性を反映しており、さまざまな建築様式が調和している。ゴシック、ルネサンス、バロック、典型的なオーストリアのビーダーマイヤー様式の建物が、20世紀初頭のアパートや第2次世界大戦後の現代的アパートとともにならんでいる。

ウィーンは巨大な公園でも知られている。市民公園や大通り公園のように記念碑があるものや、多くの条約の調印がおこなわれたバロック様式の城のある公園もある。有名なプラーター公園はドナウ川と運河の中州にある。皇帝の夏の宮殿シェーンブルンは18世紀のロココ調のうつくしい公園で、現存する世界最古の動物園(1752年設立)がある。西部にはアルプスの山麓にあたるウィーンの森がある。

教育と文化

ウィーンは長い間、数多くのすぐれた文化施設と教育施設で知られてきた。1820世紀初頭、ウィーンは世界の音楽の中心であり、高名な音楽家を生みだした。たとえば、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、ブラームス、シューベルト、ブルックナー、マーラー、ベルクなどである。ズッペはウィーン・オペレッタの初期の形式をつくり、ヨハン・シュトラウスは「こうもり」(1874)によってオペレッタをよりロマンチックなものにした。オペレッタの作曲家にはほかに、レハール、シュトルツ、オスカー・シュトラウス、カールマンなどがいる。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、国立ウィーン・オペラ、音楽学校などは音楽の伝統を今につたえている。主要なホールには、ウィーン・フィルの本拠地である楽友協会ホール、テアター・アン・デア・ウィーン(1788)、国立オペラ劇場、フォルクス・オパーがある。ブルク劇場、テアター・アン・デア・ヨーゼフシュタットも有名である。

大学と研究機関の中で傑出しているのは多くの学部をもつウィーン大学(1365年創立)で、とりわけ医学部が世界的にも名高い。ほかにも、ウィーン工科大学(1815)、ウィーン経済大学(1898)、ウィーン美術アカデミー(1692)、ウィーン獣医科大学、ウィーン農業大学がある。美術館とギャラリーも数多いが、アルベルティーナ、20世紀美術館、自然史博物館、工芸美術館はとくに知られている。

(エンカルタ97より)

ヴェーリンク ウィーンの郊外。現シューベルト公園がある。ベートーヴェンとシューベルトの墓地がる。写真集をご覧ください

かけひさんのHPに、シューベルトとベートーヴェンの墓地についての記述があります。かけひさんは、世界各地を旅行してとても楽しいレポートのHPを作っておられます。そちらのほうもご覧ください。

オーストリア 

Austria

ヨーロッパ中南部にある共和国。正式国名はオーストリア共和国。東アルプスが東西にはしり、国土の大半を占めている。国土は東西に長く約580kmで、面積は8万3859km2。人口は約786万1000人(1995年推計)。首都はウィーンで、この国最大の都市である。

   

グラーツ

Graz

オーストリア南東部のウィーンにつぐオーストリア第2の商工業都市。シュタイアーマルク州の州都で、ムール川のほとりに位置し、三方をアルプス にかこまれている。工業には、鉄鋼・鉄道車両・自動車・化学・精密機械などがある。また、ワイン・果物・穀物の交易が盛んである。人口は237810人(1991年)

シュタイアーマルク

Steiermark

オーストリア南東部の州で、南は、スロベニアと接する。ほぼ全域が東アルプスからなる。山の斜面に樹木がうっそうとしげり、多くの小さな湖が点在するうつくしい景観で名高い。河川はエンス川、ムール川、ラーバ川など。南東部はハンガリー平原につらなる丘陵地帯で、川の流域に耕地が広がっている。面積は1万6388.20km²。人口は120万4244人(1998年推計)。州都はグラーツ。

牧畜が盛んで、林業も重要である。鉱物資源が豊富で、褐炭、マグネサイト、黒鉛、鉄鉱などを産する。グラーツ周辺の工業地帯では、鉄鋼をはじめとした重工業、多種の製造業が立地する。

古代ローマ時代、この地域はローマの属州パンノニアの一部だった。のちにカール大帝に征服され、フランク王国の領土となる。1180年に独立した公国となったが、92年にはオーストリア公バーベンベルク家の領有をうけた。1276年以降ハプスブルク家の支配下にはいり、第1次世界大戦でオーストリア・ハンガリー二重帝国が消滅するまでその支配がつづいた。

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