1816年

1月  
2月 ライバッハの教員養成所の音楽教師の求人広告を目にする。
3月  
4月 27日 交響曲第4番D417を作曲(完成)。

ライバッハの教員養成所の音楽教師に応募する。サリエリから人物証明書をもらう。

シュパウンがゲーテに『魔王』をはじめとする数曲を送付する。

5月  
6月 13日 日記をつけ始める。モーツァルトの弦楽五重奏を耳にする記述がある。

16日(日) サリエリのウィーン滞在50周年の祝い。

17日 「僕は初めてお金のために作曲した」と日記に書く。ヴァッターロート(法律の先生)のために書いたカンタータ『プロメテウス』D451である。

7月 12日 ヴァッターロート邸の庭で、シューベルト自身の指揮でカンタータ『プロメテウス』D451が演奏される。報酬はウィーン通貨で100グルテン。
8月  
9月 交響曲第5番を作曲着手

弦楽三重奏曲第1番(未完成)作曲

10月 3日 交響曲第5番作曲完了

さすらい人』D489 

11月  
12月 ショーバーのランツクローンガッセの下宿に居候を開始する。そこにはショーバーの母親も住んでおり、いくらかの賄い付きの下宿代を払って住まわせてもらった。
 

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