歌曲

野ばらD257

魔王D328

至福D433

さすらい人D493

ます D550

水の上で歌うD774

 

アヴェ・マリアD839

セレナード(きけきけ雲雀を) D889

歌曲集『白鳥の歌』 D957

野ばら Heidenröslein D257 Op.3-3

作曲 1815年8月19日(18才)
作詞 ゲーテ
初演  
出版 1821年5月29日 カッピ・ウント・ディアベルリ(委託販売)作品3-3
 シューベルトは友人の結婚式のために、1815年8月19日ゲーテの『連帯の歌』に曲をつけた(D258)。その日のシューベルトのゲーテの詩への作曲はこれにとどまらず、この『野ばら』をはじめ、『神とバヤデーレ』(D254)、『鼠捕り』(255)、『宝掘り』(D256)、『月に寄せて』D259が短時間のうちに作曲された。

ト長調 4分の2拍子 Lieblich(あいらしく)

 素朴で美しい伴奏と旋律(midi)。3節からなる有節形式

〔訳詩〕

子供が見つけた 荒れ野のばら

赤くてきれいだな 摘んで帰りたい

見れば見るほど きれい

ばら ばら 赤いばら 荒れ野のばら

 

子供が 折ると ばらに言えば

折られりゃ 刺して 忘れぬように

痕を残すわ

ばら ばら 赤いばら 荒れ野のばら

 

子供は摘んでいった 荒れ野のばら

刺してはみても 空しいばかり

苦しみだけが残る

ばら ばら 赤いばら 荒れ野のばら

(實吉晴夫氏訳)

備考 訳詩の實吉晴夫氏は私の所属する国際フランツシューベルト協会の会長です。

シューベルトの作品が正当に評価されるため、作品の背景に対する幅広い認識のともに、その原作の持つ深い意味をもおりこんだ訳出をされています。

メタモル出版から出版された「シューベルトの手紙」をはじめとする優れた翻訳の仕事はシューベルト研究に大きな貢献をしています。

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魔王 Erlköning D328

作曲 1815年(18才)
作詞 ゲーテ
初演 1821年1月25日 ウィーン楽友協会
出版 1821年4月2日 カッピ・ウント・ディアベルリ(委託販売)作品1

1815年、ゲーテの物語詩「魔王」に作曲された。作曲の様子はシュパウンが詳しく記録している。

「ある日の午後わたしはマイアーホーファーと、その頃ヒンメルプフォルトの父親の家に住んでいたシューベルトのところへ行った。彼は大声で『魔王』を読みながら興奮しきっていた。彼は本を手に歩き回っていたが、突然机の前に座るとこれ以上は書けないような速さで、あっという間にすばらしいバラードを紙に書きつけた。家にはピアノがなかったので、私たちはコンビィクトに走っていって、その夜のうちに出来上がったばかりの『魔王』を歌いその出来映えに夢中になった。」

歌手は語り手、父、子、魔王の四役を歌い分ける。

ト短調 4分の4拍子 Schunell(速く)  通作形式

 ピアノの三連譜の前奏に始まる。馬の疾走する様子を描いていると考えられる。

続く歌詞の大意は以下のとおり。

語り手 「こんな夜更けに、闇と風の中に馬を走らせるのはだろう。それは父と子だ。父はおびえる子をひしと抱きかかえている。」

父   「息子よ、なぜ顔を隠すのだ」

子   「お父さんには魔王が見えないの。かんむりをかぶって、長い衣を着ている・・・」

父   「あれはたなびく霧だ・・・」

魔王 「かわいい坊や、一緒においで。面白い遊びをしよう。岸辺にはきれいな花が咲いているし、金の服を私の母さんがたくさん用意して待っているよ。」

父の部分は低めの声域で、子の部分は高い音域で歌い分けられている。魔王の部分はそれまでの三連譜連打のピアノ伴奏が、「ドミソ、ドミソ、・・」といったような長調の分散和音に変化して、子を誘惑する甘い雰囲気をかもし出している。

子  「お父さん、お父さん!きこえないの。魔王がぼくになにかいうよ。」

父  「落ち着きなさい、枯葉が風にざわめいているだけだよ。」

魔王 「いい子だ、私と一緒に行こう。私の娘たちがもてなすよ。お前をここちよくゆすぶり、踊り、歌うのだ。」

この部分では、歌いだしが転調されて2度高くなっており、緊張の高まったことが表されているようである。父親の部分は、短調の響きから後半長調の響きに変わり、子を穏やかに諭しているようにも聞ける。魔王の部分は、分散和音が、「ドミソドソミ、・・・」というような形に変化して、あの手この手で子を誘惑しているような感じを受ける。歌も、音の跳躍が前の部分よりも大きくなり、魔王が大胆に迫るようだ。

子 「お父さん、お父さん!見えないの、あの暗いところに魔王の娘が!」

父 「見えるよ。だが、あれは古いしだれ柳の幹だよ。」

この歌いだしは、さらに2度高く始まり、さらに緊張が高まる。父親の部分は、長調に転調することはなく、父親の余裕がなくなってきたようだ。

短い間奏がはいり、次に魔王の部分の伴奏は三連譜連打の形のままである。

魔王「愛しているよ、坊や。お前の美しい姿がたまらない。力づくでもつれてゆく!」

子 「おとうさん、おとうさん!魔王がぼくをつかまえる!魔王がぼくをひどい目にあわせる!」

魔王の"Ich liebe dich,いるよ)〜"あたりは、弱音で歌われ、"so brauch ich Gewalt."で暴力的に歌われるまでクレッシェンドしていく。魔王の豹変ぶりがよく表れている。子の始まりは、さらに2度高く、音域もこの曲の最高音まで駆け上がる。

この部分を三連譜の強音の伴奏が引き継ぎ、語り手の出番となる。

語り手「父親はぎょっとして、馬を全力で走らせた。あえぐ子供を両腕に抱え、やっとの思いで館に着いた・・・」

"grausets"(ぎょっとして)から、語り手の歌は登りつめていく。

「館についた」後、ピアノの三連譜はだんだん速度を落としていく。そしてほぼ無伴奏で最後のフレーズが歌われる。

「腕に抱えられた子はすでに死んでいた。」

2つの和音で締めくくられる。

2002/2/3.sotome

備考  

 

至福 Seligkeit D433

作曲 1816年(19才)
作詞 ヘルティ
初演  
出版  

1816年、シューベルトはヘルティの詩13曲に曲をつけた。その中で最もよく演奏される曲である。

「幸福」、「よろこび」と訳されることもある。

ホ長調 8分の3拍子 Lusting(楽しそうに)

 ワルツである。幸福感にあふれる伴奏と旋律(midi)。

〔歌詞大意〕数知れぬ喜びは,天の御堂に花咲いている。天使と召使いと,召された人々のためと,父たちは教えてきた。おお、私もそこで永遠の喜びを得たい! 一人一人にやさしく尼僧はほほえむ。竪琴は鳴り,人々は踊り歌う。おお,私もそこで永遠の喜びを得たい! けれど私はここに留まる。恋人は私にほほえんで,眼差しは私にこういう,おまえがいなかったら悲しい―だからあの人といるのも喜び。永遠にあの人のところに留まろう!(作曲別名曲解説ライブラリーより)

備考 名のとおり、幸福感にあふれたとても素敵な曲。品がよく、かわいらしく、楽しく、いうことがないなあ。休日に家族とおだやかに過ごすときよく聞く。大好きな曲だ。

私は、歌曲をmidiデータにすることは好まないが、このページに音が流れるのが必要と感じてあえてのせてみた。midiにした不自然さをオルゴールの音色でカーバーしたい。

 

さすらい人 Der Wanderer D493

作曲 1816年(19才)10月
作詞 シュミット・フォン・リューベック
初演 1821年11月18日、ホテル「ツーム・レーミッシェン・カイザー」(ウィーン)
出版 1822年5月29日 カッピ&ディアベリ社から委託販売として出版。

シューベルトはこの曲を一晩で書き上げた。カッピ&ディアベリ社から出版され、当時人々から特に親しまれた曲のひとつ。

シューベルトは、公開朗読のために編まれた詩選集(1815年、ウィーンで出版された)の中にこの詩を見出す。その詩選集の中で、この詩は誤ってツァハリス・ウェルナー作として取り上げられていた。シューベルトの初稿でもそのように記されている。

シュミットの原題は『不幸な男(Der Unglückliche)』であった。シューベルトはそして大きな変更のない第二稿を書き、出版する。

この間にシュミットは自ら題名を『不幸な男』から『異国の男(Der Fremdling)]』に変えた。シューベルトはそれを機会に『さすらい人』と改題した。

1818年、シューベルトはエステルハージ伯のために嬰ハ短調からロ短調に移調しているが、その表題は『さすらい人、または不幸な男、または異国の男』となっている。

1822年、曲の一部が取り上げられ、ピアノ独奏曲である『さすらい人』幻想曲が作曲された。

嬰ハ短調 2分の2拍子 Sehr langsam(ひじょうにゆっくりと)  通作形式

3連符のもう憂い前奏に始まる。

「私は山からやってきた。谷は霧たち、海は波立っている。私は少しの喜びもなく、とぼとぼとさすらっている。嘆息はたえず「どこなのか」と尋ねる。

『さすらい人』幻想曲に用いられた旋律で次のように歌われる。

「太陽も冷たく、花はしぼみ、人生にも疲れ果てた。人のことばはうつろに聞こえ、私はどこへ行っても見知らぬ旅人だ。」

曲は一転、明るくなる。

私の憧れの場所はどこなのか。探し、求めても見つからない。緑の希望の国、バラの花咲く国,友のさすらい行く国、死者のよみがえる国、私のことばを話す国、そのような国はどこにあるのだ。

再び、最初の旋律が物憂げに戻ってくる。

私は少しの喜びもなく、とぼとぼとさすらっている。嘆息はたえず「どこなのか」と尋ねる。

そして、ピアノと声がユニゾンで歌い始める。

魂の息吹の中にこだましてくる声は「おまえのいないところ、そこに幸いがあるのだ」。

備考  

 

ます Die Forelle D550

作曲 1817年(20才)春
作詞 シューバルト
初演  
出版 1820年12月9日 ウィーンで雑誌の付録として出版された。1825年、作品32として出版。

この曲の版は5版ある(名曲解説ライブラリー17シューベルトp330、ディスカウ(p165)は4稿といっている)。第4稿はヒュッテンブレンナーに献呈されている。

ヒュッテンブレンナーの兄アンゼルムのうちで夜中の12時に書き上げたが、寝ぼけて楽譜の上にインクをこぼしてしまったエピソードが、ヒュッテンブレンナーへのシューベルトの手紙に見える。この楽譜は、1870年のファクシミリで残されているが、その直後に紛失されたらしい。

1819年ピアノ五重奏曲の第4楽章に変奏曲として取り入れられた。

作曲当時から大変人気を集めたらしい。

変ニ長調 4分の2拍子 Etwas Lebhaft(やや活発に)  有節形式

3節からなる。第1節と第2節はまったく同じ旋律(midi)で書かれ、第3節は前半が変化し、後半は第1・2節と同じものとなっている。

6連譜(拍の最初は休みだが)のモチーフ(ディスカウは「跳び跳ねるますのモティーフ」と呼んでいる)の入った伴奏で始まる。軽やかな川の流れが思い浮かばれる。

歌詞の大意は以下の通り。

第1節、清い流れに、ますが矢のように泳いでいるのをみている。

第2節、漁師が登場するが、流れが清いのでつれないだろうと思う。

第3節、漁師は、水をかき混ぜ濁し、ますを釣り上げてしまう。私は、悲しく見つめている。

ますの旋律のmidiデータはTilia様よりいただきました。

 

備考 前奏のない版もある。シュワルツコップはそれによっているらしい。

この曲には、作詞者自身の作曲もあるそうだ。(シューベルト歌曲集第17巻

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エレンの歌V(アヴェ・マリア)D839 EllensGesangV(Ave Maria)

作曲 1825年4月(28才)
作詞 ウォルター・スコット(アダーム・シュトルク独訳)
初演 1828年1月31日 ウィーン、ムジークフェライン
出版 1826年4月5日 ウィーン、M.アルタリア(no.814)作品52の第6曲
 シューベルトが28歳のときに作曲したものです。当時から人々に人気があった曲のようです。シューベルト自身も自分で好んで歌ったとされます。
 詩はウォルター・スコットというイギリスの詩人のものです。「エレンの歌第3番」という名前も持っています。「湖上の美人」という詩でつづった物語に含まれたものだそうです。シューベルトはこの物語の中のうちの7曲に歌をつけ、このアヴェマリアはその6曲目にあたります。
 主人公の女性、エレンが湖のほとりの岩の上で、マリア像の前にひざまずいて、エレンの父の罪が許されることを祈る歌です。

変ロ長調 4分の4拍子 Sehr langsam(非常にゆっくりと)

 3節からなる有節歌曲です。 ハープを思わせるようなピアノ伴奏にのって、静かに敬虔に、そしてのびやかに旋律が歌われます。(演奏

備考  

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水の上で歌う 作品72 D774

Auf dem Wasser zu singen Op.72 D774

作曲 1823年4月(26才)
作詞 フリートリヒ・シュトルベルク
初演 1828年1月31日 ウィーン、ムジークフェライン
出版 1827年3月2日 A.ディアベリ社より(no.2487)作品72
 シューベルトが26歳のときにシュトルベルク伯爵の詩に作曲した数曲のひとつです。伴奏は水をあらわしており、数あるシューベルトの水にかかわる歌の中でも特に印象深いもののひとつです。

 最初は、1823年に雑誌の付録として出版されましたが(12月30日、Wiener Zeitschrift fur Kunst)、1827年に改めて作品72として出版されました。

変イ長調(変イ短調) 8分の6拍子 Mäßig geschwind(ほどよい速さで)

 水の流れをあらわす伴奏の上に、シチリア舞曲のリズムのような旋律が歌われます。歌詞は3番まであり、有節歌曲となっています。

 感傷的でとても美しい旋律です。楽譜は変イ長調(♭4つ)で書かれていながら、前奏も、歌の実に7分の6は実質変イ短調(♭7つの調)で書かれています。歌の最後の4小節では、2小節にわたる伸ばし音(1番では"tanzet"という歌詞)の途中に変イ短調から変イ長調に転調し、明るいクライマックスを作ります。その雰囲気は、涼やかな風の吹く、曇りがちの水辺に、さっと日の光が差し込でくるかのようです。わずかながらの明るさも感想の途中にはまた、夕暮れの薄明かりのようにかげっていくようです。(演奏

 今回はdamoさんに、訳詩をつけていただきました。夕暮れの水辺での美しい風景が鮮やかに広がる素敵な訳詩です。damoさん、ありがとうございました。

 ちなみにフィッシャー−ディスカウの歌の美しいことには、damoさんと同じ想いです。

 

水の上で歌う         フリートリヒ・シュトルベルク

波間のかすかなきらめきの中を

揺れる小舟は白鳥のようにすべって行く。

夕焼けが大空から波の上に降りそそぎ

小舟のまわりで踊っているのを見ると、

ああ、優しくきらめく波の楽しさに乗せられて

この魂も小舟のようにすべって行く。



西の森の梢の上では

夕焼けの赤い輝きが親しげにわたしたちに目配せし、

東の森の枝の下では

菖蒲(しょうぶ)が夕焼けの赤い輝きの中でそよいでいる。

大空の喜びと森の安らぎを

魂はこの赤く燃え立つ輝きの中で吸い込むのだ。



ああ、時が揺らめく波に乗り

露にぬれた翼でわたしの前から消え去っていく。

かすかに光る翼を羽ばたかせて、明日もまた

時は昨日や今日と同じように消え去っていくのだ、

わたし自身がより高くへと輝く翼に乗って

このうつろう時の中で消え去ってしまうまで。
 

備考  

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セレナード(きけきけ雲雀を) Ständchen D889

作曲 1826年7月(29才)
作詞 シェークスピア(シュレーゲル独訳)、ライル(あるいはバイエルンフェルト
初演  
出版 1830年10月26日 ウィーン、A.ディアベリ

 1826年、シューベルトはシェークスピアの詩3曲に曲をつけた。 そううちの1曲であり、シェークスピアの戯曲『シンベリン(Cymbeline)』からとられている。他の2曲は、『アントニーとクレオパトラ』から『酒宴の歌』D888、ヴェロナの二紳士』から『シルビアに』D891である。

 曲は3節からなっているが、シェークスピアによるのは1節目のみで、シュレーゲル独訳による。2・3節はバウエルンフェルトドイッチュによるとライル)による書き足しである。

 この曲には有名な逸話がある。シューベルトが友人と郊外に散歩に出かけ、酒場でビールを飲んださい、この詩を目にしたシューベルトは、たちまち楽想を得、友人がメニューの裏に5線を書いてやり、たちまちのうちに作曲した。というものである。しかし、事実は違うらしい。

 シューベルトはシェークスピアの詩につけたこの3曲を含む4曲を一冊の小さなノートに書いた。そのノートには鉛筆で五線がひかれていたようだ。また、その4曲中の1曲がショーバー家の隣にあった居酒屋の庭で作られた可能性があるようである。(チャールズ・オズボーンp252)それが、このことが逸話になったようである。

 この曲を作曲した時期、シューベルトはシュビントショーバーとウィーン市郊外のヴェーリンクへいった。ここには、小川や野原があり、ライラックやニワトコの木が茂っており、農家や別荘が散在していたようだ。ドナウ川沿いの山々のすばらしい展望が楽しめ、美しい夜には戸外で寝ることもあったようだ。(ディスカウ)そこで、シューベルトは詩人バウエルンフェルトと知り合い、親しくなる。シェイクスピアの戯曲は、このバウエルンフェルトの紹介で知ったようである。

ハ長調 8分の6拍子 Allegretto

 3節からなる有節歌曲。軽快なはつらつとしたである。曲の中間には特徴的な転調がある。

〔歌詞大意〕

(第1節)

きけ、青空で歌う雲雀の声を、

フェブス(日の神)が目覚め、

その馬には花びらにおりた露を飲ませる。

キンセンカのつぼみは金色の目を開く。

魅力あるすべてのものとともに美しい乙女よ起きあがれ。

(第2節)

うるわしい夜,

輝く星の群がもうおまえのうえに目を覚ますが,

それらはおまえの目の呼びかけるのを待っているのだ。

目覚めよ,星は待っている。

おまえはそれほどに魅力があるのだから。

(第3節)

もしおまえの目が覚めないならば,

愛の調べでやさしくからかってやろう。

そうすれば目覚めよう。

その調べはなんどもおまえを窓辺に誘ったろう。

それはよく知っている。

だから起きあがっておまえの歌い手を愛しなさい。

(歌詞大意は作曲別名曲解説ライブラリーより)

備考  

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歌曲集『白鳥の歌』 Schwanenegesang D957

作曲 1828年(31才)8月(1〜13曲)、10月(第14曲)
作詞 レルシュタープ、ハイネ、ザイドル
初演 1829年1月30日
出版 1829年5月4日ハスリンガー
 白鳥は鳴く鳥ではないが、死の直前に美しい声で鳴くという俗説があるらしい。

 この歌曲集の14曲は、もともと歌曲集にあまれたものではない。シューベルトの死の3〜1ヶ月前に書かれたものを集め、楽譜出版商のハスリンガーがシューベルトの死後半年後に出版したものである。

 『白鳥の歌』という表題はおそらく、シューベルトの作曲家としての最後の美しい歌であるという意味合いと、楽譜の販売促進のための宣伝文句の意味合いのためにつけられた表題だろう。

 シューベルトの死の年、1828年はまさに『白鳥の歌』の年である。3月26日には、初めての自作だけの演奏会を開き成功した。創作では大作が勢ぞろいする。交響曲ハ長調『グレート』(3月)、『ミリアム凱歌』(4月)、3曲のピアノ曲(5月)、ミサ曲変ホ長調(6月)、弦楽五重奏曲(8月)、三曲のピアノソナタ(19から21番)(9月)。いずれも規模の大きいもので、シューベルトの代表作といえる内容の高いものである。

 1828年はこのように器楽曲を中心とした大作が多かったが、その合間に大変な速さで声楽曲が作られた。

 この歌曲集はレルシュタープの詩による者が7曲、ハイネによるのが6曲、ザイドルの詩によるものが1曲で編まれている。

 レルシュタープのものは、ベートーヴェンに作詞者が作曲を依頼したものである。ベートーヴェンの手元にあったレルシュタープの手稿が、シューベルトにどうわたったかその経緯は不明である。ベートーヴェンをシューベルトが訪れたときに依頼されたとか、ベートーヴェンの秘書シンドラーが依頼したという説もある。ハスリンガーが『白鳥の歌』を出版したとき、レルシュタープは自分の歌があることを見出しておどろいたことが、シンドラーによって伝えられている。

 シューベルトは、レルシュタープの詩による歌曲集を計画していたようである。第1曲の『愛のたより』には別の拍子を持つスケッチも残っている。

 ハイネの詩集「歌の本」をシューベルトが知ったのは1月12日に友人仲間の読書会で取り上げられたことによる。シューベルトは「歌の本」を持ち帰った。そのうち6曲を選んで作曲した。やはり、歌曲集にすることを考えていたようである。

 シューベルトの兄フェルディナンドは、シューベルトの死後、シューベルト自身の借金を返済するために、3つのピアノソナタとこのレルシュタープによる7曲と、ハイネによる6曲をハスリンガーに売却した。 ハスリンガーはザイドルによる『鳩の使い』を加えこの歌曲集を成立させ、出版した。

第1曲『愛のたよりLiebesbotschaft』(レルシュタープ)通作形式。ト長調4分の2拍子 Ziemlich langsam(かなりゆっくりと)

小川のせせらぎが、ピアノ伴奏であらわされる。 なだらかな美しい旋律が歌われる。伴奏の低音部は時折歌を模倣する。なんともやさしく、ロマンティクな歌である。

(歌詞大意)

銀色にさざめく小川。早く陽気に恋人のもとに行くのだろう。

小川よ、お前は私の使いだ。このたよりを少女に伝えておくれ。

 少女がかわいらしく胸につける花。その花は庭で育てられたもの。

 小川よ、赤く燃えるバラに、冷たい水で生気を与えておくれ。

少女が岸辺にもの思い、私を想いうなだれるなら、

やさしく少女を慰めてほしい。やがて恋人は帰ってくるよと。

 陽が夕焼けに沈むとき、かわいい少女を眠らせておくれ。

 楽しい憩いのさざめきの中に、愛の夢をささやいておくれ。

第2曲『兵士の予感 Kriegers Ahnung』ハ短調 4分の3拍子 遅すぎずに

 1792〜1815年は、フランス革命、ナポレオン戦争とたえず戦争のあった時代である。ウィーン会議のとき、シューベルトは18才。レルシュタープはシューベルトと同時代に生きた人であるから、彼らの周囲には戦いと何らかの形でかかわった人々やさまざまな戦争にかかわるエピソードがあったに違いない。

 この歌は野戦地で恋人を思う兵士の歌である。

 深い眠りの戦友たちの中、ひとり悪い予感に眠れぬ戦士がいる(レシュターティーボ風。演奏)。かがり火をみながらかつての楽しい思いが胸によぎる(演奏)が、ぼんやりと武器を見つつ現実に戻る(演奏)。そして心を励まし(演奏)、恋人に思いを寄せつつ眠りにつく。

(歌詞大意)

戦友たちが静かに深く眠る。私の心は激しく焦がれ、かつ不安で憂鬱だ。

彼女の暖かい胸で何度も楽しい夢を見た。そして、炉の火のそばで何度も彼女を腕に抱いた。

ここでは、ぼんやりとかがり火が武器を照らしているだけだ。心に孤独で悲しい涙が流れる。

心よ励め。幾多の戦いがまっている。

やがて私は憩いぐっすり眠るだろう。

恋人よ、おやすみ。

第3曲 「春のあこがれ(Frühlingssehnsucht)」Geschwind(急速に)変ロ長調 4分の2拍子

5節の有節歌曲。最後の節だけが変化する(短調ではじまる)。春のときめきを歌う歌である。

伴奏は吹きぬける風のようである。

節の途中にフェルマータが入る(歌詞大意のA)。節の最後は変ロ長調から変イ短調に変わり、長い音符の伴奏の上にはやる気持ちが一瞬おさえられたようなフレーズになっている(B)。

第5節の(B)はff(フォルテシモ)になってnur du!(ただ君だけが!)と歌う。そして静かに曲を閉じる。

(歌詞大意)

(第1節)

そよ風が吹き、花の香りがする。

なんと私を楽しませてくれることか!ときめかせてくれることか!(A

私もお前についていきたい。(B)どこへ?

(第2節)

小川がせせらぎ、銀色に谷間を下る。

漣は早瀬を下る。野も空も影を映す。(A

あこがれ慕う心よ、私を引き連れて行く。(B)谷へ?

(第3節)

金色に輝く太陽の光。希望の喜びを運ぶ。

その姿は私を喜ばせる。深く青い空が優しく微笑む。(A

(しかし)私の眼には、涙が浮かぶ。(B)なぜだ?

(第4節)

青く茂る森と丘、花は輝き咲き誇る。

芽は膨らみ、つぼみは開く。彼らはみな望みを満たしている。

B)そしておまえは?

(第5節)

休みなきあこがれ!求める心!

ただ涙と苦しみ(を私に与える)だけなのか?

衝動が高まる。誰が私をを鎮めてくれるか。

この胸に春をもたらす。お前だけが!

第4曲 「セレナード Ständchen」 ニ短調 4分の3拍子

叙情性深く、きわめて美しい歌曲。有節歌曲。3節からなる。まさに、恋人の家の窓辺にうたうセレナードである。ピアノ伴奏は、ギターの爪弾きを表すと考えられる。

(歌詞大意)

 宵闇の中にひそかに呼びかける。恋人よ、あの森の中におりて、私のもとにおいで。こずえがつきの光にざわめいている。立ち聞きなど恐れることはない。

 ナイチンゲールの声が聞こえるか。あれは私に代わって甘い悲しみの声でお前に声をかけているのだ。ナイチンゲールは私の憧れや、悩みを知っている。銀色の声で、心を揺り動かすのだ。

 恋人よ心を動かしておくれ。私の歌を聞いておくれ。私は胸をときめかす。ここへ来て私を幸せにしておくれ。

第5曲 「わが宿 Aufenthalt」  ホ短調 4分の2拍子 速すぎずにしかし力強く

題名は、「居るところ」という意味。通作歌曲で、厳しく強い感じの歌。歌詞からして陰鬱なもの。

(歌詞大意)

波立つ流れ、ざわめく森、固い岩、そこが私の住む所だ。

波が寄せ打つように、涙は果てしなく頬をつたう。

高いこずえの揺れ動きのように、心は動揺する。

岩の中の太古からの鉱物のように、悩みはかわることはない。

第6曲 「遠い国で In der Ferne」 ロ短調 4分の3拍子 かなりゆっくりと

(歌詞大意) 

友も故郷も捨て、仲間たちの憎しみに燃え、索漠とした一生を背負ったさすらい人は、自分の心を打ちのめした女性のところへその悲惨な運命の知らせを届けるようにと波と風に頼む。

 この詩にはたくさんの韻が踏まれている。

 名伴奏者ジェラルド・ムーアのこの詩に対する評価は厳しい。「このような詩を音楽にしようとした歌曲作曲家はほかには考えられない。なぜならば、この詩は意味といえるものはほとんどなく、くどい詩で最後は悲しい音の繰り返しになってしまう。」ムーアはカペルという人の、「この詩の踊るようなリズムがシューベルトの興味をそそったのだろう」という推測を紹介している。

 しかし、ムーアはこのようにいう。「ピアノなしで『遠い国で』の楽譜を勉強してみるとこの音楽がけだるく短調であるように見えるが、演奏を聴くと私の気持ちがさわぐのである。(中略)シューベルトは心に語りかけることができた。」

 たしかに楽譜を見ると音符は単純なものの羅列で面白みがない。しかし、CDで演奏を聴いてみると、突然の転調に驚かされ歌詞のもつ厭世的な憎しみのようなものが感じられるし、ゆっくりとした厳しい静寂を感じさせる旋律線が、強く緊張を迫ってくる。

 曲は通作歌曲。形のよく似た旋律線が3回出てくる。3回目はロ長調となり、、伴奏音型が分散和音になり、風や波を表していると考えられる。最後は短調で、厳しく強く終わる。

midiにしましたが、どうもよくありません。

第7曲 「別れ Abschied」  変ホ長調 4分の4拍子 適度に速く

 この曲集のレルシュタープ詩による最後の歌曲。

 ピアノ伴奏は馬のひづめのの音を表している。

 名伴奏者ジェラルド・ムーアは、この曲の速さについてこう述べている。

「適度に速くがこの曲に指示された速度である。何故ならば、速さは駈け足でもなく小走りですらなく、元気よく前へ前へと進んでいき、馬の乗り手はほとんど手綱を引き締めることなく、馬にのったままふりかえり、さまざまな女友達(とくに可愛らしく心のやさしい少女のようである)に手を振って別れを告げ、そして少女達の窓に微笑を投げかけるからである。彼は数多くの恋をしたかも知れないが、心をあとに残しはしない。彼が多くの楽しみを経験した町に別れる際に後悔はなく、あるのは『あすは緑の森と牧場へ」という想いだけである。」(「シューベルト 三大歌曲集 歌い方と伴奏法」p310)

 若者が、さわやかな恋の思い出を胸に、馬を駆り、颯爽と街を去る歌である。そのテンポは一度もゆるむことなく

 6節からなる有節歌曲である。1,3,5節、2,4節がそれぞれ同じ旋律線をもつ。6節目は、短調の経過句のあと変ハ長調で2,4節の変形で表れる。

(歌詞大意) 音楽の友社刊「作曲家別 名曲解説 ライブラリー17 シューベルト 」P305より引用

(第1節)

さようなら楽しい街よ。馬は楽しげに地を蹴ってゆく。おまえは決して悲しげな様子をみせたことはなかった。
(第2節)

さようなら,花よ、庭よ。私は小川に沿ってくだり,別れの歌をうたう。おまえは悲しい歌をきいたこともなかった。私はおまえに悲しい言葉を贈るのはやめよう。
(第3節)

さようなら,やさしい少女たちよ。おまえたちはなんといたずらっぼい眼差しを向けることだろう。私はふり返りはするが,馬は返さない。
(第4節)

さようなら,愛する太陽よ。おまえは休み,星が輝く。おまえたちはいっしょにずっと旅をつづけて、私のよい案内者になってくれ。
(第5節)

さようなら,明るい光のもれる窓よ。おまえたちは心地よく輝き、私を小屋に招く。私は何度かその前を通ったが,今日がその最後だろうか。
(第6節)

さようなら,星たち,光を消せ。窓の灯は星のかわりにはならない。私はもうここにとどまってはいられないのだ。

 

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備考  

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