独奏ピアノ曲

ピアノソナタ

bullet

第1番

bullet

第2番

bullet

第3番

bullet

第4番

bullet

第5番

bullet

第6番

bullet

第7番

bullet

第8番

bullet

第9番

bullet

第10番

bullet

第11番

bullet

第12番

bullet

第13番 イ長調 D664

bullet

第14番

bullet

第15番

bullet

第16番

bullet

第17番

bullet

第18番

bullet

第19番

bullet

第20番

bullet

第21番

変奏曲

bullet ヒュッテンブレンナーの主題による13の変奏曲

 

舞曲

bullet

メヌエットイ長調D334    メヌエット ホ長調D335  メヌエットニ長調D336

bullet

2つのスケルツォD593

bullet

ギャロップと8つのエコセーズD735(作品49)

bullet

エコセーズD511

bullet

12のエコセーズD781

bullet

16のドイツ舞曲と2つのエコセーズD783

bullet

12のドイツ舞曲D790

bullet

最初のワルツ集Op.9 D365

bullet

高雅なワルツD969

その他ピアノ作品

bullet

幻想曲ハ長調D760(Op.15)『さすらい人』

bullet

4つの即興曲D899

bullet

4つの即興曲D935

bullet

6つの楽興の時D780

bullet

アレグレットD915

解説

幻想曲ハ長調D760(Op.15)『さすらい人』

Fantasie für Klavier D760(Op.15)

作曲 1822年11月
初演 1832年。ボクレット。ウィーン・ムジークフェラインザール
  エマヌエール・カール・エードラー・フォン・リーベンベルク・ド・ジッティンという人物が、シューベルトに作曲報酬を払った上に、出版の世話までしたらしい。そのため、有名な未完成交響曲の作曲が中断されたという。(エルンスト・ヒルマー)自筆譜にはフランス語の献呈辞のついたものが残されているらしい。出版も作曲後の4ヵ月後にされ、スピード出版である。

 リーベンベルクはピアニストで、フンメルの弟子だったという。(名曲解説ライブラリー)裕福な年金生活者だったともいわれる。作曲の依頼は、娯楽のためだったか、演奏会のためだったか、「さすらい人』はリーベンベルクの依頼で変奏曲になったのか、大変興味があるが、残念ながらそれ以上わかる資料は持ち合わせていない。

 4楽章構成で、技巧的であり、ピアノ・ソナタと位置づけてもよい内容を持っている。第2楽章は自作の歌曲『さすらい人』D493の主題による変奏曲となっている。

 幻想曲は器楽曲の一形式。しかし時代により内容がまったく異なった。16、7世紀では、ルネサンス風対位法による厳格なポリフォニー曲だったが、シューベルトの時代には、「幻想」の意味合いが強くなり、厳格な形式によらない組曲風作品をがよくそう呼ばれる。

楽章をクリックすると音を聞くことができます。

第1楽章 Allegro con foco ma non troppo ハ長調 4分の4拍子

 ソナタ形式で書かれている。

 シューベルトが好んで用いたダクチュル音型(タン・タ・タというリズム)で始まる。分散和音が多用され、オクターブで鍵盤をおさえることがとても多い第1主題は、ヴィルトーゾ的でアピール性が強い。

 第2主題はホ長調で、優美なメロディーとなる。第1主題のリズムが基本となっている。

 展開部は、シューベルトのソナタとしては比較的長く、第1主題をもとに、展開される。途中には、第2主題の動機をもとにシューベルトらしい歌謡的な旋律がでてくる。

 音楽的な高揚が静まってくると、第2楽章に切れ目なく続く。

 第2楽章 Adagio 嬰ハ短調 2分の2拍子

 表示がるわけではないが、『さすらい人』の主題と、5つの変奏曲。

主題は、8小節。打ち沈んだ瞑想的な主題。

第1変奏は、波を打つような伴奏の上に、長調で主題が提示される。

第2変奏は、左手の低音で細かく動く、うなるような響きの上に、厚い和音とともに主題が奏され、後半では、右手と左手が交互にダイナミックの音の跳躍をする、ピアニスティックなもの。

第3変奏は、6連符の伴奏にオクターブの旋律が奏される。

第4変奏では、前半で主題が示された後、左手の伴奏音型の中に主題が盛り込まれ、右手が華々しいオブリガートを奏する。終末では付点リズムでこの楽章のクライマックスがつくられる。

第5変奏では、64分音符でトレモロ的に奏される左手の伴奏の上に、旋律がオクターブで奏される。

曲は静かに3楽章に連結する。

第3楽章 Prest 変イ長調 4分の3拍子

 表示されていないが、スケルツォ。3部形式。ダクチュル音型の変形したリズムが主になっている、精気あふれる楽章。前半の中間部分では、ワルツあるいはレントラー風な部分も出てくる。

 中間部は、おだやかな牧歌的なレントラー風。

 再現部での後半は、アルペジオの嵐のような経過句をはさみ、切れ目なく4楽章へ続く。

第4楽章 Allegro ハ長調 4分の4拍子

 1楽章の変形した主題が、フーガ風に提示される。あとは、装飾的な音型に彩られ、きらびやかに曲が進んでいく。楽譜は、ブラームスのピアノ協奏曲のピアノ符を思い起こさせるようなものになっている。

<midiデータについて>

midiデータは、いつき様より提供いただきました。お礼申し上げます。

製作データ>製作ソフト: Singer Song Writer 5.0 / MIDI Espressivo / らくらく作曲名人 音源:YAMAHA S-YXG50(XGソフトシンセサイザー)

備考 出版:カッピ・ウント・ディアベッリ(1823年2月24日)

自筆譜はニューヨークのフランク・ブラック氏が所蔵。

この曲のようにシューベルトは、自分の歌曲を主題とした変奏曲にとして取り上げる例がいくつかある。

ピアノ五重奏曲『ます』

弦楽四重奏曲『死と乙女』

しぼめる花によるフルートとピアノのための変奏曲

ピアノとバイオリンのための幻想曲ハ長調D934

(一覧表に戻る)

楽興の時 D780 作品 94 

Moments musicaux für Klavier D780

作曲 1823年から晩年にかけて
出版 1828年春 ラインスドルフ社(ウィーン)
 シューベルトはピアノのための小曲を残しました。ロマン派の作曲家(シューマンや、メンデルスゾーン、ブラームスなど)は形式にしばられない個性的なピアノのための小品を数多く残しました。シューベルトのこの作品集はその先駆けと考えられています。

 1823年から最晩年までに作曲された6曲の小品が集められたものです。1828年春にラインスドルフ社から、この「楽興の時」という名前がつけられて出版されたものです。シューベルト自身による命名かどうかわかりませんが、シューベルトの生前に出版されたのでシューベルトもこの題名で認識していたことでしょう。

 「楽興の時」とは、音楽的なひと時というような意味でしょうか。シューベルトの最も有名な曲のひとつです。

第3曲 アレグロ モデラート ヘ短調 4分の2拍子

 この曲集の中で最も有名な曲。軽快な伴奏の上に、民俗舞曲風な旋律が奏されます。

 初版では「ロシア風エール(Air  russe)」という題名がつけられていたそうです。ロシア風の歌という意味でしょうか。

楽譜も見られます。河合楽器のプラグインソフトが必要ですが、クリックすれば自動的にインストールページからダウンロードできるようになっています(フリーソフトです)。

第5曲 アレグロ ビバーチェ ヘ短調 4分の2拍子

 シューベルトの作品によく表れてくるダクチュル音型(タン・タ・タ)で作られた小曲です。3部形式で書かれているといってよいでしょう。中間のところは、左手の4分音符の動きに、右手のきらきらするような8分音符の動きが重なる部分があります。この部分の転調は、とてもシューベルトらしく素敵です。さいごは、ヘ長調になり、4分音符の二つの和音ので、ピシッと締めくくられます。

備考  

(一覧表に戻る)

4つの即興曲 D935 作品 142 

Impromptus für Klavier D935 Op142

作曲 1827年12月
出版 1838年末 ディアベリ社 リストに献呈された
 私の手許の資料では、詳しい作曲の経緯はわかりません。死の前年の1827年にかかれました。

  「即興曲」という名前についてはシューベルト自身の命名だったようです。作品90のピアノ作品に、出版者のハスリンガー即興曲という名をつけることを提案しました。シューベルトはその名を気に入ったということです。(名曲解説ライブラリーp192)

  シューマンアインシュタインはこの4曲の即興曲がピアノソナタとして書かれたのではないかと考えています。しかし、シューベルト自身はこの4曲を「バラ売りでもよい」と言っていたようで、売れにくい大曲のソナタのよりも、売れやすい小曲ピースとして考えたというほうが有力な説であるような気がします。シューマン自身も「調性からいえば有望だが、全体的には散漫で、原本となった手稿をみなければわからない」といっています。(「音楽と音楽家」p126)

 シューマンは更にこう言っています。

「もちろん呼び名や題名などは大したことではないが、いやしくもソナタといえば、作家の美しい誉であるから、僕としてはシューベルトの多くのソナタにもう1曲加わったといいう風に考えたい(一つどころか二十くらい増えたらなおよいと思うけれども)。」(「音楽と音楽家」p126-127)

 それだけこの曲がシューマンにとって魅力的な作品だということだと思います。

 出版はシューベルトの死後10年後でした。

第1曲 アレグロ モデラート ヘ短調 4分の4拍子

 自由な形式。ロンドに近い。シューマンはソナタ形式だといっています。

 劇的な感じの第1主題と八分音符の連打の第2主題からなる。

第2曲 アレグレット 変イ長調 4分の3拍子

 とても素敵な曲です!!素朴だけれど憂いを秘めた旋律がやさしく提示されます。和声の移り変わりもとても美しい。

 3部形式で、中間に変ニ長調の3連符の分散音形で流れるように始まります。途中でイ長調で頂点が築かれます。

 midiデータにしましたが、やはりこれは実演やCDなどで楽しまれることをお勧めします。(演奏)

第3曲 変奏曲 アンダンテ 変ロ長調 2分の2拍子

 有名な「ロザムンデ」のテーマによる変奏曲です。「ロザムンデ」のテーマはシューベルトのお気に入りだったようです。

 主題と5つの変奏曲からできています。

 比較的人気のある曲ですが、シューマンはあまり高く評価していませんでした。「これはシューベルトの作品とは思われないくらいで、せいぜい彼の少年時代のものと考えたい。どれもみな同じような主題の変奏曲で、少しも面白くない。この曲には独創性も幻想もまるでない(後略)」(「音楽と音楽家」p127)と辛らつです。この曲を除いて演奏する提案までしています。確かにと思いますが、何もそこまで言わなくとも思います。

 個人的には指揮法のレッスンに通っていた時、このテーマが課題曲として取り組んだことがあります。「先入」とか「ひっかけ」とか「分割」とかむずかしかったなあ(なかなか仕上がらずつらい思い出)。 

第4曲 アレグロ スケルツァンド ヘ短調 8分の3拍子

 525小節の大曲。リズムが前面に出る曲です。私には、「ウンガリッシュ」に聞こえます。

 形式はかなり自由で、中間の部分がやや長めになっています。速度を速めるコーダがついており、華々しくこの曲集を締めくくります。

備考 自筆譜はライプツィヒのペータース社の付属音楽図書館に所蔵されている。

メヌエット D334 D335 D336

 Menuett  D335 D335 D336

作曲 1813年頃、1815年頃
 D334は、ベートーヴェンのピアノソナタ第7番ニ長調作品10−3にあるメヌエットに刺激を受けて、書いた作品といわれています(アインシュタイン)。自分のイ短調のピアノソナタの第3楽章にと考えたようですが、実際には入れませんでした。1815年頃の作と考えられています。

 D335については、資料がないのでくわしくわかりませんが、トリオが二つもある充実したものとなっています。ピアノソナタに入れようとしたのかもしれません。1813年頃に作曲されたらしいとされています。

 D336も資料がないので、その成立については不明です。国際フランツシューベルト協会のホームページ平石英雄氏の作品リストによると、シューベルトの作ではないとされています。
 

イ長調D334 Allegretto 4分の3拍子 

弱拍の先取音の印象的なメヌエットです。歌曲集『水車小屋の娘』のなかの「粉屋の花」の後半部分に似ています。

トリオはホ長調で、左手の4分音符の連打の上に、のびのびと旋律が奏でられます。

ホ長調D335 4分の3拍子

端正なかわいらしいメヌエット。

第1トリオは同じくホ長調。分散和音に流れるようなメロディです。第2トリオもまたホ長調で、元気がよく伸びやかな感じです。

ニ長調D336 4分の3拍子

かわいらしいメヌエットです。前の二つに比べると、若干単純な印象を受けます。こどものためにでも書かれたのでしょうか?

トリオもニ長調。メヌエットにも、トリオにも、その中ごろの盛り上がる部分はユニゾンで書かれています。

題名をクリックすると音を聞くことができます。

備考 3曲とも自筆譜はウィーン国立図書館所蔵。

3曲とも1897年Gesamtausgabe社から出版。

(一覧表に戻る)

2つのスケルツォ D593

 2 Scherzi  D593

作曲 1817年 11月(20歳)
 この第1曲は、子供のために編集されたシューベルトのピアノ曲集にも収録されることのある親しみやすい作品です(「子供のシューベルト」)。

 この2曲の成立した1817年にはピアノソナタがたくさん書かれています。イ短調D537(3月)、変イ長調D557(5月)、ホ短調D556(6月)、変ホ長調D568(6月)、嬰ヘ短調D571(7月)、ロ長調D575(8月)などのほか、ソナタの断片と思われるような作品もあります。この作品の第2曲のトリオは、変ホ長調のピアノソナタ(D568)のスケルツォと同じものです。そういった状況からこの2曲はソナタの中の1曲として書かれたと推測できるでしょう。

 アインシュタインはこの2曲について「あまりに仕上がりが行きとどきすぎている」(「シューベルト」p201)と述べています。独立した作品としても十分楽しめる曲です。
 

第1曲 変ロ長調 Allegretto 4分の3拍子 

第2曲 変ニ長調 Allegretto moderato 4分の3拍子

題名をクリックすると音を聞くことができます。

備考 自筆譜は紛失。

1871年J.P.Gotthard(ウィーン)から作品161として出版。

(一覧表に戻る)

ギャロップと8つのエコセーズD735(作品49)

作曲 1822年
 1曲のトリオつきギャロップと8曲のエコセーズが一組として1825年に出版されました。

 平凡社の音楽大事典によると、ドイツでは1820年ころからギャロップが流行しだしたようです。シューベルトは実用の音楽として作曲したのだろうと思います。最初は仲間うちで踊っていたものがまとめられて出版されたのではないでしょうか。

 この曲について解説された資料は持ち合わせていませんが、当時から人気があったのだろうと予想されます。1826年にはペスト(ブダペストのペスト)で、エコセーズのうち7つがオーケストラ編曲によって演奏されています。ボスコフスキーの指揮をした演奏がレコードで出ていますし、Bruno Maderna(1920-1973)がオーケストラ用に編曲したりもしています。わたしにとっては編曲もののほうが身近です。

 なお、エコセーズは8曲が切れ目なく演奏されます。

ギャロップ ト長調(クリックすると聞ける)  
第1エコセーズ ト長調 第2エコセーズ ホ短調
第3エコセーズ ニ長調 第4エコセーズ 変ロ調
第5エコセーズ 変ホ長調 第6エコセーズ 変ホ長調
第7エコセーズ 変ホ長調 第8エコセーズ 変イ長調 
備考

1825年ウィーンのディアベリ社から出版。

(一覧表に戻る)

12のドイツ舞曲D790

作曲 1823年5月
通称は「レントラー集」。

シューベルトはたくさんのレントラーを書いた。

この曲がということではないが、シューベルトは「シューベルティアーデ」でよく即興的にレントラーを演奏したようである。

また、当時レントラーは広く愛好されていたようで、ピアノ連弾やバイオリンの独奏用などに編曲され家庭音楽として楽しまれていたようだ。

第1曲 ニ長調 第2曲 イ長調(D783の第1曲と同一曲)
第3曲 ニ長調 第4曲 ニ長調
第5曲 ロ短調 第6曲 嬰ト短調
第7曲 変イ長調 第8曲 変ハ長調
第9曲 ロ長調 第10曲 ロ長調 
第11曲 変イ長調 第12曲 ホ長調
接続曲だが、それぞれの曲に緊密な関係があり、高い音楽的内容を持っている。特に、シューベルトらしい転調が魅力的。私の大好きな曲です。
備考 自筆譜はウィーン楽友協会所蔵。

1864年ウィーンのC.A.シュピーナ社から「12のレントラー」として出版。

(一覧表に戻る)

 36曲のオリジナル舞曲集(最初のワルツ集) Op.9  D365

36 Originaltanze for Pinoforte Op.9 D365

作曲 1816年(第1〜28曲)1821年(第29曲〜36曲)
出版 1821年11月29日 カッピ&ディアベリ

舞曲集成立の背景

 1821年、シューベルトはそれまで書いた36曲の舞曲をまとめて出版しました。作品9の番号がついていますが、作品8まではすべて歌曲だったので、シューベルトにとって始めてのピアノ作品の出版となったわけです。

 シューベルトの時代のウィーンにはワルツが大流行していました。1787年にウィーンの宮廷はワルツを公認しました。1814年の有名な「ウィーン会議」(ナポレオン戦争の後始末のための会議)では、「会議は踊る。されど進まず」と、これまた有名な言葉がありますが、これはウィーンの熱狂的なワルツ熱があったためのようです。日常でも流行は 大変なものだったようで、庶民が市内のホールで熱狂的に踊り狂うさまがあったそうです。株価が暴落すれば、「暴落ワルツ」が作曲され、コレラがはやれば「コレラワルツ」が登場するといったものだったそうです。シューベルト自身もヨーゼフ・ランナーのワルツが好きで、 よく聞きにいっていたことがあるようです。そのへんの事情は喜多尾道冬著「シューベルト」p97にとてもくわしくあります。ご参照ください。

 シューベルトの近辺の会合でも、このような事情ですから、ワルツが踊られたわけで、シューベルトはそれに即興的に演奏をするといったようでした。その即興的にかかれたものを集めたのがこの曲集となったのです。おそらくシューベルト初のピアノ曲の出版となったのも、ワルツの流行により、需要が見込まれたからでしょう。

 自筆譜には日付が記されており(いくつかの自筆譜は失われていますが)、後半29番以降はは1821年のアッツェンブルック城で催された大規模なシューベルティアーデで書かれた作品で、「 アッツェンブルック舞曲」ともよばれています。

 シューベルのこのワルツ集(正確には舞曲集)は、36曲もの曲がひとつの作品集に収められていますが、実際のCDの演奏を聞いてみますと、ほとんど抜粋で、順番を入れ替えてあるのも数多くあります。実際に踊りに使われることをねらいとしたものでしょうから、問題はないと思いますが、アインシュタインによると配列自体は計画的なならびになっています。

 最初の13曲はすべて変イ長調、変ニ長調(嬰ハ長調)−イ長調−ト長調−ロ長調−ホ長調−イ長調−ニ長調−イ長調−ハ長調、最後の5曲がヘ長調という並びです。

悲しみのワルツ

 ところで、第1曲、第2曲は『悲しみのワルツ』という名で、シューベルトの友人たちの間で愛好されました。友人のアンゼルム・ヒュッテンブレンナーの所有していた手書きの楽譜には、

「わがコーヒーとワインとポンチの飲み友達、世界に名だたる作曲家のためにかかれし、西暦1818年ウィーン、家賃30フローリンの彼自らのいとも高貴なる住まいにて。」

と記されていました。

 この曲は当時人気となり、一人歩きをします。以下、H.ガルの文章から引用します。

「この曲はいつだってシューベルトの最も人気の高い作品のひとつだったし、ついには、実にひどい歌詞を添えられ《ライラックの咲くころ》というヒット曲として世界を駆け巡った。(略)この曲はシューベルトの手からあっさりかすみ奪われ、単にドイツだけでなくイギリス、フランスにおいても多くの版を重ねて、信じられぬほどの人気を博したのだった。その曲は最初作者不詳のものとして扱われた。シューベルトと同時代の名もない作曲家ヨハン・ペンゼルによる《悲しみのワルツによる変奏曲》が登場し、そのすぐあとにカール・ツェルニーによる《人気の高いウィンナワルツによる変奏曲》が続いた。その数年後、(略)この曲はベートーヴェンの作(本人が否定しているにもかかわらず)とされた(略)その名も《あこがれのワルツ》と題されていた。」

シューベルトの曲が、当時民謡同様に、あるいはさながら今日の歌謡曲のように、世に受け入れられていた例の一つということだと思います。

 ベルテというオペレッタ作曲家がのちにシューベルトの作品を編曲し、「三人娘の家」という、シューベルトを題材としたオペレッタを書きますが、その中にもこの第2曲の旋律が現れます。当時はやったシューベルトがふんだんに使われた作品ですので、特にこの第2曲はポピュラリティーが高かったもうひとつの表れなのでしょう。(ちなみにベルテのこの作品は日本では「シューベルトの青春」という題で上演されたりするようです。)

 H.ガルは第2曲についてこのようにもいっています。

「この曲を魅力的で覚えやすくしているしているものは、最初のフレーズの表情にあふれた曲線である。だが、その真実の、決定的な特質は、その和声の見通しが想像力に富んだ幅広さを持っている第二フレーズにある。最初の八小節はシューベルトでなくとも作り出すことができたかもしれない。しかしながら、そのすばらしい,いかにもシューベルト的な歓喜を伴った第二フレーズについてはいかにも疑念の呈しようがなかった。」

 シューベルトの魅力をよく表現した文章だと思います。

シューベルト・ワルツ

 先日、ダンスサークルを主催する同僚から、「スウェーデンのシューベルト・ワルツを知っていますか?」と聞かれました。スウェーデンとシューベルトはちょっと結びつかず、困惑しました。マルメーというところにシューベルトの自筆譜を所持している音楽協会があるのでそのことかと思いましたが、どうも違うようなので、その曲のはいっているというCDをいうのをお借りして聞いてみました。すると、「悲しみのワルツ」だったのです。

 そのCDの解説によると1800年代末にストックホルムでよく踊られていたということなのです。詳しい事情はそれ以上はわかりませんが、シューベルトはここまで受容されているのだたいへん感心しました。もっとも、その同僚がスウェーデンの方と交流する機会があった際、これを話題にしたところ怪訝な顔をされたということです。「シューベルト・ワルツ」がスウェーデンなのは日本だけこのことかもしれません。話題提供でした。

第1曲 変イ長調 第2曲 変イ長調 第3曲 変イ長調  
第9曲 第11曲 第14曲(変イ長調、変イ長調、変ニ長調) 第21曲 第27曲 第28曲(ト長調、ホ長調、イ長調)
備考  

(一覧表に戻る)

エコセーズ 変ホ長調 D511

Ecossaise Es-dur D511

作曲 1817年頃
 シューベルトの友 だちに送られたものです。寄書き帳の表と裏に一曲のエコセーズと、 一曲のワルツがシューベルトの手でかかれました。それぞれのページの下には、次のような献辞が書かれていました。

(表)「このエコセーズとともに、あらゆる運不運を乗り越えて跳んでいきたまえ。あなたの最良の友フランツ シューベルト」(「シューベルトの手紙」p43)

(裏)「常にこのワルツを踊りたまえ、そしてロシア人かプファルツ人になってしまうのだ。同じく、あなたの友人 フランツ シューベルト」(「シューベルトの手紙」p43)

 友人とは誰のことかわかっていません。献辞からするとロシアやプファルツに旅行、あるいは赴任する友人に対してかかれたものでしょうか。詳しくはわかりませんが、ちょっと気の利いた贈り物ですね。

 なお、ワルツはD365の第3曲です。

変ホ長調 4分の2拍子

16小節の短いものです。後半の転調はシューベルトらしいと思います。(演奏

備考  

(一覧表に戻る)

アレグレット ハ短調

Allegretto c-moll D915

作曲 1827年4月26日
シューベルトの親友、フェルディナンド・ヴァルヒャーが帝国海軍の任地、ヴェネチアに赴任するために、献呈した曲。

Allegretto ハ短調 8分の6拍子

変イ長調の中間部をはさむ3部形式。しみじみとした味わいのある曲である。(演奏

備考  

(一覧表に戻る)

ホーム 生涯 年表 作品 シューベルト辞典 文献・CD シューベルトQ&A シューベルト写真館 更新情報 リンク集 このページの作者のプロフィール