ピアノソナタ
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変奏曲
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舞曲
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その他ピアノ作品
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Fantasie für Klavier D760(Op.15)
作曲 | 1822年11月 |
初演 | 1832年。ボクレット。ウィーン・ムジークフェラインザール |
エマヌエール・カール・エードラー・フォン・リーベンベルク・ド・ジッティンという人物が、シューベルトに作曲報酬を払った上に、出版の世話までしたらしい。そのため、有名な未完成交響曲の作曲が中断されたという。(エルンスト・ヒルマー)自筆譜にはフランス語の献呈辞のついたものが残されているらしい。出版も作曲後の4ヵ月後にされ、スピード出版である。
リーベンベルクはピアニストで、フンメルの弟子だったという。(名曲解説ライブラリー)裕福な年金生活者だったともいわれる。作曲の依頼は、娯楽のためだったか、演奏会のためだったか、「さすらい人』はリーベンベルクの依頼で変奏曲になったのか、大変興味があるが、残念ながらそれ以上わかる資料は持ち合わせていない。 4楽章構成で、技巧的であり、ピアノ・ソナタと位置づけてもよい内容を持っている。第2楽章は自作の歌曲『さすらい人』D493の主題による変奏曲となっている。 幻想曲は器楽曲の一形式。しかし時代により内容がまったく異なった。16、7世紀では、ルネサンス風対位法による厳格なポリフォニー曲だったが、シューベルトの時代には、「幻想」の意味合いが強くなり、厳格な形式によらない組曲風作品をがよくそう呼ばれる。 |
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楽章をクリックすると音を聞くことができます。第1楽章 Allegro con foco ma non troppo ハ長調 4分の4拍子ソナタ形式で書かれている。 シューベルトが好んで用いたダクチュル音型(タン・タ・タというリズム)で始まる。分散和音が多用され、オクターブで鍵盤をおさえることがとても多い第1主題は、ヴィルトーゾ的でアピール性が強い。 第2主題はホ長調で、優美なメロディーとなる。第1主題のリズムが基本となっている。 展開部は、シューベルトのソナタとしては比較的長く、第1主題をもとに、展開される。途中には、第2主題の動機をもとにシューベルトらしい歌謡的な旋律がでてくる。 音楽的な高揚が静まってくると、第2楽章に切れ目なく続く。 第2楽章 Adagio 嬰ハ短調 2分の2拍子表示がるわけではないが、『さすらい人』の主題と、5つの変奏曲。 主題は、8小節。打ち沈んだ瞑想的な主題。 第1変奏は、波を打つような伴奏の上に、長調で主題が提示される。 第2変奏は、左手の低音で細かく動く、うなるような響きの上に、厚い和音とともに主題が奏され、後半では、右手と左手が交互にダイナミックの音の跳躍をする、ピアニスティックなもの。 第3変奏は、6連符の伴奏にオクターブの旋律が奏される。 第4変奏では、前半で主題が示された後、左手の伴奏音型の中に主題が盛り込まれ、右手が華々しいオブリガートを奏する。終末では付点リズムでこの楽章のクライマックスがつくられる。 第5変奏では、64分音符でトレモロ的に奏される左手の伴奏の上に、旋律がオクターブで奏される。 曲は静かに3楽章に連結する。 第3楽章 Prest 変イ長調 4分の3拍子表示されていないが、スケルツォ。3部形式。ダクチュル音型の変形したリズムが主になっている、精気あふれる楽章。前半の中間部分では、ワルツあるいはレントラー風な部分も出てくる。 中間部は、おだやかな牧歌的なレントラー風。 再現部での後半は、アルペジオの嵐のような経過句をはさみ、切れ目なく4楽章へ続く。 第4楽章 Allegro ハ長調 4分の4拍子1楽章の変形した主題が、フーガ風に提示される。あとは、装飾的な音型に彩られ、きらびやかに曲が進んでいく。楽譜は、ブラームスのピアノ協奏曲のピアノ符を思い起こさせるようなものになっている。 <midiデータについて> midiデータは、いつき様より提供いただきました。お礼申し上げます。 製作データ>製作ソフト: Singer Song Writer 5.0 / MIDI Espressivo / らくらく作曲名人 音源:YAMAHA S-YXG50(XGソフトシンセサイザー) |
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備考 | 出版:カッピ・ウント・ディアベッリ(1823年2月24日)
自筆譜はニューヨークのフランク・ブラック氏が所蔵。 この曲のようにシューベルトは、自分の歌曲を主題とした変奏曲にとして取り上げる例がいくつかある。 しぼめる花によるフルートとピアノのための変奏曲 ピアノとバイオリンのための幻想曲ハ長調D934 |
Moments musicaux für Klavier D780
作曲 | 1823年から晩年にかけて |
出版 | 1828年春 ラインスドルフ社(ウィーン) |
シューベルトはピアノのための小曲を残しました。ロマン派の作曲家(シューマンや、メンデルスゾーン、ブラームスなど)は形式にしばられない個性的なピアノのための小品を数多く残しました。シューベルトのこの作品集はその先駆けと考えられています。 1823年から最晩年までに作曲された6曲の小品が集められたものです。1828年春にラインスドルフ社から、この「楽興の時」という名前がつけられて出版されたものです。シューベルト自身による命名かどうかわかりませんが、シューベルトの生前に出版されたのでシューベルトもこの題名で認識していたことでしょう。 「楽興の時」とは、音楽的なひと時というような意味でしょうか。シューベルトの最も有名な曲のひとつです。 |
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第3曲 アレグロ モデラート ヘ短調 4分の2拍子この曲集の中で最も有名な曲。軽快な伴奏の上に、民俗舞曲風な旋律が奏されます。 初版では「ロシア風エール(Air russe)」という題名がつけられていたそうです。ロシア風の歌という意味でしょうか。
第5曲 アレグロ ビバーチェ ヘ短調 4分の2拍子シューベルトの作品によく表れてくるダクチュル音型(タン・タ・タ)で作られた小曲です。3部形式で書かれているといってよいでしょう。中間のところは、左手の4分音符の動きに、右手のきらきらするような8分音符の動きが重なる部分があります。この部分の転調は、とてもシューベルトらしく素敵です。さいごは、ヘ長調になり、4分音符の二つの和音ので、ピシッと締めくくられます。 |
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備考 |
Impromptus für Klavier D935 Op142
作曲 | 1827年12月 |
出版 | 1838年末 ディアベリ社 リストに献呈された |
私の手許の資料では、詳しい作曲の経緯はわかりません。死の前年の1827年にかかれました。 「即興曲」という名前についてはシューベルト自身の命名だったようです。作品90のピアノ作品に、出版者のハスリンガーが即興曲という名をつけることを提案しました。シューベルトはその名を気に入ったということです。(名曲解説ライブラリーp192) シューマンやアインシュタインはこの4曲の即興曲がピアノソナタとして書かれたのではないかと考えています。しかし、シューベルト自身はこの4曲を「バラ売りでもよい」と言っていたようで、売れにくい大曲のソナタのよりも、売れやすい小曲ピースとして考えたというほうが有力な説であるような気がします。シューマン自身も「調性からいえば有望だが、全体的には散漫で、原本となった手稿をみなければわからない」といっています。(「音楽と音楽家」p126) シューマンは更にこう言っています。
それだけこの曲がシューマンにとって魅力的な作品だということだと思います。 出版はシューベルトの死後10年後でした。 |
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第1曲 アレグロ モデラート ヘ短調 4分の4拍子自由な形式。ロンドに近い。シューマンはソナタ形式だといっています。 劇的な感じの第1主題と八分音符の連打の第2主題からなる。 第2曲 アレグレット 変イ長調 4分の3拍子とても素敵な曲です!!素朴だけれど憂いを秘めた旋律がやさしく提示されます。和声の移り変わりもとても美しい。 3部形式で、中間に変ニ長調の3連符の分散音形で流れるように始まります。途中でイ長調で頂点が築かれます。 midiデータにしましたが、やはりこれは実演やCDなどで楽しまれることをお勧めします。(演奏) 第3曲 変奏曲 アンダンテ 変ロ長調 2分の2拍子有名な「ロザムンデ」のテーマによる変奏曲です。「ロザムンデ」のテーマはシューベルトのお気に入りだったようです。 主題と5つの変奏曲からできています。 比較的人気のある曲ですが、シューマンはあまり高く評価していませんでした。「これはシューベルトの作品とは思われないくらいで、せいぜい彼の少年時代のものと考えたい。どれもみな同じような主題の変奏曲で、少しも面白くない。この曲には独創性も幻想もまるでない(後略)」(「音楽と音楽家」p127)と辛らつです。この曲を除いて演奏する提案までしています。確かにと思いますが、何もそこまで言わなくとも思います。 個人的には指揮法のレッスンに通っていた時、このテーマが課題曲として取り組んだことがあります。「先入」とか「ひっかけ」とか「分割」とかむずかしかったなあ(なかなか仕上がらずつらい思い出)。 第4曲 アレグロ スケルツァンド ヘ短調 8分の3拍子525小節の大曲。リズムが前面に出る曲です。私には、「ウンガリッシュ」に聞こえます。 形式はかなり自由で、中間の部分がやや長めになっています。速度を速めるコーダがついており、華々しくこの曲集を締めくくります。 |
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備考 | 自筆譜はライプツィヒのペータース社の付属音楽図書館に所蔵されている。 |
Menuett D335 D335 D336
作曲 | 1813年頃、1815年頃 |
D334は、ベートーヴェンのピアノソナタ第7番ニ長調作品10−3にあるメヌエットに刺激を受けて、書いた作品といわれています(アインシュタイン)。自分のイ短調のピアノソナタの第3楽章にと考えたようですが、実際には入れませんでした。1815年頃の作と考えられています。 D335については、資料がないのでくわしくわかりませんが、トリオが二つもある充実したものとなっています。ピアノソナタに入れようとしたのかもしれません。1813年頃に作曲されたらしいとされています。
D336も資料がないので、その成立については不明です。国際フランツシューベルト協会のホームページや平石英雄氏の作品リストによると、シューベルトの作ではないとされています。 |
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イ長調D334 Allegretto 4分の3拍子弱拍の先取音の印象的なメヌエットです。歌曲集『水車小屋の娘』のなかの「粉屋の花」の後半部分に似ています。 トリオはホ長調で、左手の4分音符の連打の上に、のびのびと旋律が奏でられます。 ホ長調D335 4分の3拍子端正なかわいらしいメヌエット。 第1トリオは同じくホ長調。分散和音に流れるようなメロディです。第2トリオもまたホ長調で、元気がよく伸びやかな感じです。 ニ長調D336 4分の3拍子かわいらしいメヌエットです。前の二つに比べると、若干単純な印象を受けます。こどものためにでも書かれたのでしょうか? トリオもニ長調。メヌエットにも、トリオにも、その中ごろの盛り上がる部分はユニゾンで書かれています。 題名をクリックすると音を聞くことができます。 |
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備考 | 3曲とも自筆譜はウィーン国立図書館所蔵。
3曲とも1897年Gesamtausgabe社から出版。 |
2 Scherzi D593
作曲 | 1817年 11月(20歳) |
この第1曲は、子供のために編集されたシューベルトのピアノ曲集にも収録されることのある親しみやすい作品です(「子供のシューベルト」)。 この2曲の成立した1817年にはピアノソナタがたくさん書かれています。イ短調D537(3月)、変イ長調D557(5月)、ホ短調D556(6月)、変ホ長調D568(6月)、嬰ヘ短調D571(7月)、ロ長調D575(8月)などのほか、ソナタの断片と思われるような作品もあります。この作品の第2曲のトリオは、変ホ長調のピアノソナタ(D568)のスケルツォと同じものです。そういった状況からこの2曲はソナタの中の1曲として書かれたと推測できるでしょう。 アインシュタインはこの2曲について「あまりに仕上がりが行きとどきすぎている」(「シューベルト」p201)と述べています。独立した作品としても十分楽しめる曲です。 |
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第1曲 変ロ長調 Allegretto 4分の3拍子第2曲 変ニ長調 Allegretto moderato 4分の3拍子題名をクリックすると音を聞くことができます。 |
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備考 | 自筆譜は紛失。
1871年J.P.Gotthard(ウィーン)から作品161として出版。 |
作曲 | 1822年 | ||||||||||
1曲のトリオつきギャロップと8曲のエコセーズが一組として1825年に出版されました。 平凡社の音楽大事典によると、ドイツでは1820年ころからギャロップが流行しだしたようです。シューベルトは実用の音楽として作曲したのだろうと思います。最初は仲間うちで踊っていたものがまとめられて出版されたのではないでしょうか。 この曲について解説された資料は持ち合わせていませんが、当時から人気があったのだろうと予想されます。1826年にはペスト(ブダペストのペスト)で、エコセーズのうち7つがオーケストラ編曲によって演奏されています。ボスコフスキーの指揮をした演奏がレコードで出ていますし、Bruno Maderna(1920-1973)がオーケストラ用に編曲したりもしています。わたしにとっては編曲もののほうが身近です。 なお、エコセーズは8曲が切れ目なく演奏されます。
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備考 |
1825年ウィーンのディアベリ社から出版。 |
作曲 | 1823年5月 | ||||||||||||
通称は「レントラー集」。
シューベルトはたくさんのレントラーを書いた。 この曲がということではないが、シューベルトは「シューベルティアーデ」でよく即興的にレントラーを演奏したようである。 また、当時レントラーは広く愛好されていたようで、ピアノ連弾やバイオリンの独奏用などに編曲され家庭音楽として楽しまれていたようだ。
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接続曲だが、それぞれの曲に緊密な関係があり、高い音楽的内容を持っている。特に、シューベルトらしい転調が魅力的。私の大好きな曲です。 | |||||||||||||
備考 | 自筆譜はウィーン楽友協会所蔵。
1864年ウィーンのC.A.シュピーナ社から「12のレントラー」として出版。 |
36 Originaltanze for Pinoforte Op.9 D365
作曲 | 1816年(第1〜28曲)1821年(第29曲〜36曲) | ||||||||
出版 | 1821年11月29日 カッピ&ディアベリ | ||||||||
舞曲集成立の背景1821年、シューベルトはそれまで書いた36曲の舞曲をまとめて出版しました。作品9の番号がついていますが、作品8まではすべて歌曲だったので、シューベルトにとって始めてのピアノ作品の出版となったわけです。 シューベルトの時代のウィーンにはワルツが大流行していました。1787年にウィーンの宮廷はワルツを公認しました。1814年の有名な「ウィーン会議」(ナポレオン戦争の後始末のための会議)では、「会議は踊る。されど進まず」と、これまた有名な言葉がありますが、これはウィーンの熱狂的なワルツ熱があったためのようです。日常でも流行は 大変なものだったようで、庶民が市内のホールで熱狂的に踊り狂うさまがあったそうです。株価が暴落すれば、「暴落ワルツ」が作曲され、コレラがはやれば「コレラワルツ」が登場するといったものだったそうです。シューベルト自身もヨーゼフ・ランナーのワルツが好きで、 よく聞きにいっていたことがあるようです。そのへんの事情は喜多尾道冬著「シューベルト」p97にとてもくわしくあります。ご参照ください。 シューベルトの近辺の会合でも、このような事情ですから、ワルツが踊られたわけで、シューベルトはそれに即興的に演奏をするといったようでした。その即興的にかかれたものを集めたのがこの曲集となったのです。おそらくシューベルト初のピアノ曲の出版となったのも、ワルツの流行により、需要が見込まれたからでしょう。 自筆譜には日付が記されており(いくつかの自筆譜は失われていますが)、後半29番以降はは1821年のアッツェンブルック城で催された大規模なシューベルティアーデで書かれた作品で、「 アッツェンブルック舞曲」ともよばれています。 シューベルのこのワルツ集(正確には舞曲集)は、36曲もの曲がひとつの作品集に収められていますが、実際のCDの演奏を聞いてみますと、ほとんど抜粋で、順番を入れ替えてあるのも数多くあります。実際に踊りに使われることをねらいとしたものでしょうから、問題はないと思いますが、アインシュタインによると配列自体は計画的なならびになっています。 最初の13曲はすべて変イ長調、変ニ長調(嬰ハ長調)−イ長調−ト長調−ロ長調−ホ長調−イ長調−ニ長調−イ長調−ハ長調、最後の5曲がヘ長調という並びです。 悲しみのワルツところで、第1曲、第2曲は『悲しみのワルツ』という名で、シューベルトの友人たちの間で愛好されました。友人のアンゼルム・ヒュッテンブレンナーの所有していた手書きの楽譜には、
と記されていました。 この曲は当時人気となり、一人歩きをします。以下、H.ガルの文章から引用します。
シューベルトの曲が、当時民謡同様に、あるいはさながら今日の歌謡曲のように、世に受け入れられていた例の一つということだと思います。 ベルテというオペレッタ作曲家がのちにシューベルトの作品を編曲し、「三人娘の家」という、シューベルトを題材としたオペレッタを書きますが、その中にもこの第2曲の旋律が現れます。当時はやったシューベルトがふんだんに使われた作品ですので、特にこの第2曲はポピュラリティーが高かったもうひとつの表れなのでしょう。(ちなみにベルテのこの作品は日本では「シューベルトの青春」という題で上演されたりするようです。) H.ガルは第2曲についてこのようにもいっています。
シューベルトの魅力をよく表現した文章だと思います。 シューベルト・ワルツ先日、ダンスサークルを主催する同僚から、「スウェーデンのシューベルト・ワルツを知っていますか?」と聞かれました。スウェーデンとシューベルトはちょっと結びつかず、困惑しました。マルメーというところにシューベルトの自筆譜を所持している音楽協会があるのでそのことかと思いましたが、どうも違うようなので、その曲のはいっているというCDをいうのをお借りして聞いてみました。すると、「悲しみのワルツ」だったのです。 そのCDの解説によると1800年代末にストックホルムでよく踊られていたということなのです。詳しい事情はそれ以上はわかりませんが、シューベルトはここまで受容されているのだたいへん感心しました。もっとも、その同僚がスウェーデンの方と交流する機会があった際、これを話題にしたところ怪訝な顔をされたということです。「シューベルト・ワルツ」がスウェーデンなのは日本だけこのことかもしれません。話題提供でした。
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備考 |
Ecossaise Es-dur D511
作曲 | 1817年頃 |
シューベルトの友
だちに送られたものです。寄書き帳の表と裏に一曲のエコセーズと、
一曲のワルツがシューベルトの手でかかれました。それぞれのページの下には、次のような献辞が書かれていました。
友人とは誰のことかわかっていません。献辞からするとロシアやプファルツに旅行、あるいは赴任する友人に対してかかれたものでしょうか。詳しくはわかりませんが、ちょっと気の利いた贈り物ですね。 なお、ワルツはD365の第3曲です。 |
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変ホ長調 4分の2拍子16小節の短いものです。後半の転調はシューベルトらしいと思います。(演奏) |
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備考 |
Allegretto c-moll D915
作曲 | 1827年4月26日 |
シューベルトの親友、フェルディナンド・ヴァルヒャーが帝国海軍の任地、ヴェネチアに赴任するために、献呈した曲。 | |
Allegretto ハ短調 8分の6拍子変イ長調の中間部をはさむ3部形式。しみじみとした味わいのある曲である。(演奏) |
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備考 |