ピアノ五重奏曲イ長調D667(op.post.114)『ます』
Quintett A-dur D667(op.post.114)"Die Forelle"
作曲 | 1819年、もしくは1823年または1825年 |
初演 | 不詳 |
編成 | Pf,Vn,Vla,Vc,CB |
1819年夏、シューベルトはフォーグルとともに、フォーグルの故郷のシュタイヤを訪れた。
シュタイや滞在中、町の鉱山長官パウムガルトナー家にフォーグルやシュタードラーとともに何度も訪問している。パウムガルトナーは、自身でチェロを弾く音楽愛好家で、自宅のサロンでよくコンサートを開いていた。 パウムガルトナーは、歌曲『ます』を大変気に入り、シューベルトにこの五重奏曲の作曲を委嘱したものと考えられている。 この経緯は、シュタードラーのフェルディナンド・ルイープへの書簡によって知られている。次に引用する。 「彼(シューベルト)は、あの愛らしい歌曲(『ます』)に魅了されていた私の友人パウムガルトナーのたっての希望で、この五重奏曲を書きました。当時出たばかりのフンメルの五重奏曲、正確には七重奏曲の構成および器楽編成と同じ形によって、というのがパウムガルトナーの希望でした。シューベルトはすぐにこれを書き上げ、その総譜は自身の元においておきました。・・・・・・・・もう長い年月がたっており、正確に覚えていないことについては削除。」「私がパート譜を作成し、シュタイヤのパウムガルトナーに送りました。」(名曲解説ライブラリー「シューベルト」p69) 1823年または1825年に作曲の異説は、上記の資料には、作曲された時期、場所が明記されていないため、シューベルトがシュタイヤを訪れたこのふたつの年に作曲され可能性が否定できないためである。 |
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楽章をクリックすると音を聞くことができます。 第1楽章 Allegro vivace イ長調 4分の4拍子ソナタ形式で書かれている。
第2楽章 Andante ヘ長調 4分の3拍子3つの主題が、交互に繰り返される二部形式。 第1主題はおだやかな曲想で主にピアノで奏される。 第2主題は、嬰ヘ長調に変わり、チェロとビオラの二重奏で、憂いを含んだ旋律が奏される。 第3主題は、ニ長調で、3連符の伴奏にのった、付点音符の器楽的なものとなっている。 2回目のときは第1主題は変イ長調、第2主題はイ短調、第3主題はヘ長調で再現される。 第3楽章 Presto イ長調 4分の3拍子スケルツォ。 第4楽章 Andantino ニ長調 4分の2拍子
第5楽章 Allegro giust イ長調 4分の2拍子2部形式。2つの主題が交互に繰り返される。 第1主題は舞曲風。第2主題は明るく器楽的。 midiのデータは、KCN様からいただきました。 |
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よくこの曲の解説には、「シュタイアの自然とそこでの幸福な日々を反映したかのような、清澄な明るさと伸びやかさが全体を支配している」というようなものがあるが、この曲の性質をよくあらわしている。 | |
備考 | シュタードラー作成のパート譜は、聖フローリアン修道院で発見された。シューベルトの死後、1829年にヨーゼフ・ツェルニー社から出版された初版とは、いくつかの異同があることが知られている。 |
Streichquartett D-dur D94
作曲 | 1814年末(日付は書かれていない)(17歳) |
初演 | 1814年 シューベルトの家庭で |
編成 | 2Vn,Vla,Vc |
前年の1813年にはサリエリの指導も受けながら、集中的に4曲の弦楽四重奏曲を作曲している。作品の質は著しく向上したとみなすシューベルト研究家は多い。 1813年秋、シューベルトはコンヴィクトを去った。兵役を避けるために師範学校の予備かに進学をした。しかし、1814年秋にはその学校も辞め、父のもとで助教員になった。この曲はその時期の作品である。 第1楽章は長大で、シューベルトの大作への意欲が感じられる。しかし、他の3楽章がそれに比べ短いので、楽章バランスの悪さが指摘される。いくらか”尻すぼみ”な印象をもたれることが多い。 初演は、シューベルトの家庭内でなされたものと考えられる。 この曲を詳しく解説する書籍などにこれまでであったことはない。それにもかかわらず、この項で解説を取り上げるのは、この第1楽章が、素人の弦楽奏者には魅力的な響きがたくさんあったためである。弱音と強音の対比、親しみやすい旋律、刻みによる伴奏の動き、32分音符音階による旋律の装飾、転調などである。 おそらく、シューベルトの家庭演奏会ではこのような点が大きな楽しみではなかったろうか。仲間とカルテットをやることをとても楽しみにしている私の私見である。 |
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第1楽章 Allegro ニ長調ソナタ形式。 pp(ピアニシモ)で神秘的に始まる。盛り上がり見せた後、新しい動機が次々に出てくる。刻みの奏法による伴奏で短調で奏される動機は印象的である。かわいらしい感じの第2主題が短く奏されて最初の雰囲気が戻り、提示部を終わる。 展開部はやや短めで、むしろ主題再現部でいろいろな新しい展開がなされている。主題再現部はなんとハ長調で開始する。32分音符音階の旋律の装飾がなされたり、刻み音形で伴奏が上へ下へ動き回ったり、ゲネラルパウゼが入ったり、アクセントが弱拍につけられたり、新しい動機が示されたりと自由に作曲されている。 私には演奏後にメンバーで談笑がおきたことが想像される。(演奏) 第2楽章 Andante con moto ト長調ハイドン的な緩叙楽章。雰囲気がハイドンの交響曲第104番の第2楽章によく似ている。(演奏) 第3楽章 Menuetto Allegretto ニ長調コンパクトにまとまった、かわいらしいメヌエット。トリオは変ロ長調。(演奏) 第4楽章 Presto ニ長調ロンド形式の速いフィナーレ。快活な響きがある。(演奏) |
Streichquartett C-moll D703
作曲 | 1820年12月(23歳) |
初演 | 1821年 私的な音楽サークルで(推定) 1867年3月1日ヘルメスベルガー四重奏団(ウィーン・ムジークフェラインザール) |
編成 | 2Vn,Vla,Vc |
第1楽章しか完成されておらず、変イ長調の第2楽章の41小節のスケッチが残っています。そのために『四重奏断章』と呼ばれています。 前作の11番から4年の空白を隔てて作曲され、次作の13番が作曲されるのはさらに4年後です。作曲の動機もはっきりしていません。シューベルトの作品目録では孤立した存在で、シューベルト研究の上では大きな謎のひとつとなっています。ました。 作曲法上とても実験的な試みがされた作品ですが、ヒルマーは作曲の動機は、作曲法上の事柄よりも、演奏の機会を狙って作曲されたものだろうと推測しています。 1819年頃からウィーン楽友協会の関連で「プライベート・イブニング・コンサート」という、協会の活動を活性化させようというねらいの演奏会がしばしばもたれるようになりました。この演奏会は弦楽四重奏で始まり、重唱で終わるのが習いとされていたようです。 この催し物の常連であったゲオルグ・ヘルメスベルガーはシューベルトのコンヴィクト時代の学友で密接なつながりを持っていたようです。シューベルトはヘルメスベルガーに演奏してもらおうと作曲をはじめました。作曲の翌年には私的に初演したようです。 しかし、ヘルメスベルガーがウィーン音楽院のヨーゼフ・ベームの助手になり、多忙のために演奏会に出られなくなりました。演奏の機会が失われて、シューベルトの作曲も中断してしまっただろうというのです。 断章でありながら、内容の充実から今日でも比較的演奏の機会が多いようです。 |
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第1楽章 Allegro assai ハ短調ソナタ形式。ただし、かなり実験的な試みで変形されています。 pp(ピアニシモ)の第1バイオリンのトレモロで神秘的に始ま り、楽器をだんだんに増やしながら急速にクレッシェンドし高みに上ります。比較的短い経過句を経て第2主題となります。 第2主題は変イ長調で、歌のような伸びやかで優しい旋律です。第1主題に似た雰囲気の中に第1バイオリンが音階的な急速な音形を奏する部分をはさんで、第2主題の対旋律がト長調出てきます。転調を重ねていく様子はブルックナーを思わせます。 均整のとれた展開部をはさみ再現部に移ります。 再現部では第1主題が提示されず、第2主題から再現されます。ほぼ提示部と同様に示された後、コーダとして第1主題が再現します。大変簡潔にしかもきっぱりと曲を閉じます。 第1主題はもともと印象的なフレーズなので、それが、はじめと終わりに配置されたことで一層緊迫感が感じられるように思います。 第2楽章 Andante 変イ長調42小節で、未完成に終わっている。私はこの楽譜を見たことはないが、アインシュタインによると、「すぐに変ハ長調に転調し、嬰ヘ短調のアルテルナティーヴォを持ち、未聞の充実と悲劇性を含んでいる」といっている。そしてこの曲が未完成に終わったことについて「われわれの音楽財産にとって不幸な損害である。」ともいっている。 |
Streichquartett d-Moll D810 "Der Tod und das Mädchen"
作曲 | 1824年3月 |
初演 | 1826年2月1日ヨーゼフ・バルト邸(私的初演)
1833年3月12日ベルリン、カールモーザー四重奏団によって |
この曲のかかれる前年、1823年は、シューベルトは著しく健康を損ねていた。梅毒であった。肉体的・精神的にもかなりまいっていた。
1824年の2,3月ごろにはかなり健康を回復し、創作にも積極的に取り組むようになった。3月31日付のクーペルヴィーザーあての手紙には、「歌曲はあまり作らなかったが、弦楽四重奏曲2曲と、八重奏曲を作曲した」ことが述べられている。また、もう1曲の弦楽四重奏曲作曲の計画と「大きな交響曲への道」への抱負とを述べている。2つの弦楽四重奏曲のうちの1曲がこの曲である。 このニ短調の弦楽四重奏は、深刻で劇的な内容で、大規模な構成を持っている。「大きな交響曲への道」への抱負の反映とも考えられる。 第2楽章は1817年に作曲された歌曲『死と乙女』をもとにした変奏曲となっている。そのためこの弦楽四重奏曲はこのニックネームを持つ。 |
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第1楽章 Allegro ニ短調 4分の4拍子ソナタ形式で書かれている。 第2楽章 Andante con molto ト短調 2分の2拍子1817年に作曲された歌曲『死と乙女』をもとにした変奏曲。
第3楽章 Schelzo, Allegro molto ニ短調 4分の3拍子スケルツォ。 第4楽章 Presto ニ短調 8分の6拍子ユニゾンのタランテラ風の第1主題に、ファンファーレ風の力強い第2主題のもとの、駆け抜けるような急速なフィナーレ。 1,2楽章のmidiデータはSHO様より、いただきました。 4楽章のmidiデータはyassy様より、いただきました。 3楽章のデータは自作です。 |
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備考 |
Streichtrio B-dur D471
作曲 | 1816年9月 |
初演 | 不詳 |
編成 | Vn,Vla,Vc |
シューベルトの弦楽三重奏曲は2曲あるが、この最初に書かれた第1番は未完成の楽章である。第1楽章だけが完成され、第2楽章の途中で終わっている。 同時期に交響曲第5番が書かれている。私の感想では、この時期に作曲されたものは素直で明るく、活気に満ちたものが多いように思う。友人たちとの交流や、社交も多い時期で、作曲家としての独立の気運や、家族との生活との決別の時期で、希望に満ちた気持ちがこのような作品を生み出していると思う。 |
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第1楽章 Allegro ソナタ形式で書かれたモーツァルト的な楽章。 第2楽章 Andante sosutenuto 変ホ長調 39小節で中断されている。アインシュタインは中断された理由を「書いているうちに形式がはっきりわからなくなり、また、あまりに早く開始部に戻ったせいであろう」と推測している。 しかし、あくまでも推測。私はとても素敵な曲だと思う。ベートーヴェンの交響曲第2番の2楽章の開始の雰囲気に似ていると思う。 |