行進曲 |
序曲・ソナタ・ロンド・変奏曲 |
幻想曲・舞曲・その他 |
作曲 |
1817年 7月 |
初演 |
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出版 |
1827年7月6日 A・ディアベルリ(no.2650)作品75 |
シューベルトとポロネーズの組み合わせは「意外だ」と思う人も多いでしょう。ですが、シューベルト はピアノ連弾用のポロネーズ集を2冊(D599,D824)も刊行しています。バイオリンとオーケストラのためのポロネーズ(D580)もあります。当時のウィーンは踊りが流行していたので、このポーランドの踊りもきっと身近なものだったのでしょう。 シューベルトはたくさんの実用的な舞曲をかきましたが、おそらくこれは、そのような目的ではなく、家庭的な楽しみやサロンでの演奏の目的に書かれたのではないかと思います。 『フランクフルター・アルゲマイネ紙』という雑誌の『音楽I案内』1827年4月4日号には、作品61の「6つのポロネーズ」(D824)について次のような論評が載せられました。
出版は生前に行われましたが、作曲から10年後でした。おそらく若い頃に書いたものから売れ筋の作品を選び行ったのではと思います。 |
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第1番 ニ短調 4分の3拍子第2番 変ロ長調 4分の3拍子第3番 ホ長調 4分の3拍子第4番 ヘ長調 4分の3拍子装飾音符の入ったリズミカルな主題と、のびやかな曲想のトリオからなっています。(演奏) |
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備考 |
作曲 |
1826年 以前、新グローブ音楽辞典では、1818年の夏から秋、ドイッチュは1822年としています |
初演 |
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出版 |
1826年 A・ディアベルリ(委託販売)作品51 |
シューベルトのもっともポピュラーな作品のひとつ です。第1番は特に有名で、広く演奏されています。オーケストラ編曲やタウジッヒによるピアノ独奏編曲があります。 作曲の詳細は私の持つ資料からはよくわかりません。他の多くのシューベルトの連弾作品が家庭的な楽しみのために書かれたようにこの作品も書かれたのでしょう。あるいは、出版社から依頼を受け、作曲したのかもしれません。 |
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第1番 ニ長調 4分の2拍子 Allegro vivace下属調のトリオをはさむ三部形式 でできています。 ファンファーレ風に始まる軽快な行進曲 となっています。 トリオはト長調で 優しい感じの歌謡風な旋律です。 (演奏: 原曲) (演奏:ピアノソロ編曲版 ) 第2番 ト長調 4分の4拍子 Allegro molto moderato1番同様下属調のトリオをはさむ三部形式でできています。(演奏) 第3番 変ホ長調 4分の4拍子 Moderatoファンファーレのような短い序奏で始まります。 最初の主題は付点音符のリズムによるとてもリズミックな旋律です。 トリオはやはり下属調の変イ長調です。トリルの入ったアウフタクトで始まる優美な旋律です。(演奏) |
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備考 |
作曲 |
1827年 10月11日(30歳) |
初演 |
1827年 11月4日、グラーツのカール・パハラー家において |
出版 |
1870年 J.P.Gotthard社(ウィーン)(No.53) |
1827年6月12日、シューベルトはグラーツのパハラー夫人に手紙を書きました。
死の年の前年のこの頃はシューベルトの名声もだんだん確立してきました。パハラー夫人はベートーヴェンとの交流もあった音楽愛好家でした。グラーツのシュタイアーマルク音楽協会のメンバーであるイェンガーを通して、シューベルトを自分の家に招待しました。この年の9月3日にグラーツを訪れ、パハラー家に滞在しました。 9月20日までの約2週間の滞在はシューベルトにとってとても快適なものだったようです。27日にシューベルトはパハラー夫人に礼状を書いています。
ここで紹介する「子供の行進曲」はこの手紙に出てくる当時8歳の「ファウスト君」のためにかかれたものです。シューベルトはパハラー夫人に、パハラー家の当主カール・パハラー博士の聖名の祝日に演奏する連弾曲を依頼したのでした。シューベルトはウィーンで作曲をし、10月12日に手紙とともにパハラー夫人に楽譜を送りました。
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ト長調 4分の2拍子はつらつとした分散和音的なテーマに始まる24小節の主部と、3連符の愛らしいテーマの24小節のトリオからできています。(演奏) |
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備考 | オリジナルはウィーン楽友協会所蔵 |