四手用ピアノ曲

行進曲

3つの軍隊行進曲D733

子供の行進曲D928

序曲・ソナタ・ロンド・変奏曲

4つのポロネーズD599

幻想曲・舞曲・その他

4つのポロネーズD599 作品75

作曲

1817年 7月

初演

 

出版

1827年7月6日 A・ディアベルリ(no.2650)作品75

  シューベルトとポロネーズの組み合わせは「意外だ」と思う人も多いでしょう。ですが、シューベルト はピアノ連弾用のポロネーズ集を2冊(D599,D824)も刊行しています。バイオリンとオーケストラのためのポロネーズ(D580)もあります。当時のウィーンは踊りが流行していたので、このポーランドの踊りもきっと身近なものだったのでしょう。

 シューベルトはたくさんの実用的な舞曲をかきましたが、おそらくこれは、そのような目的ではなく、家庭的な楽しみやサロンでの演奏の目的に書かれたのではないかと思います。 『フランクフルター・アルゲマイネ紙』という雑誌の『音楽I案内』1827年4月4日号には、作品61の「6つのポロネーズ」(D824)について次のような論評が載せられました。

 「これらの曲においては真実のポロネーズを期待すぺきではない。これらは、ポロネーズのリズムによる、きわめて独創的で大部分ははなはだメロディー的なピアノ小曲である。ただし、このポロネーズのリズムを、全二冊のすべての曲にわたって保持するのは好ましくない。なぜなら、そうすると極端な単調さが生じてしまって、ほかの美点、独自な点がそれに打ち克つ ことができなくなるからである。演奏にはあちこちにむずかしいところがあるが、それほ、ときには不意打ちの、ときには熟考された転調のためである。推称にあたいする曲集である。」(アインシュタイン著「シューベルト音楽的肖像」p359より引用)

 出版は生前に行われましたが、作曲から10年後でした。おそらく若い頃に書いたものから売れ筋の作品を選び行ったのではと思います。

第1番 ニ短調 4分の3拍子 

第2番 変ロ長調 4分の3拍子 

第3番 ホ長調 4分の3拍子

第4番 ヘ長調 4分の3拍子

 装飾音符の入ったリズミカルな主題と、のびやかな曲想のトリオからなっています。(演奏)

備考  

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3つの軍隊行進曲D733 作品51

作曲

1826年 以前、新グローブ音楽辞典では、1818年の夏から秋、ドイッチュは1822年としています

初演

 

出版

1826年 A・ディアベルリ(委託販売)作品51

 シューベルトのもっともポピュラーな作品のひとつ です。第1番は特に有名で、広く演奏されています。オーケストラ編曲やタウジッヒによるピアノ独奏編曲があります。

 作曲の詳細は私の持つ資料からはよくわかりません。他の多くのシューベルトの連弾作品が家庭的な楽しみのために書かれたようにこの作品も書かれたのでしょう。あるいは、出版社から依頼を受け、作曲したのかもしれません。

第1番 ニ長調 4分の2拍子 Allegro vivace

 下属調のトリオをはさむ三部形式 でできています。

ファンファーレ風に始まる軽快な行進曲 となっています。

トリオはト長調で 優しい感じの歌謡風な旋律です。

(演奏: 原曲)

(演奏:ピアノソロ編曲版 )

第2番 ト長調 4分の4拍子 Allegro molto moderato

 1番同様下属調のトリオをはさむ三部形式でできています。(演奏

第3番 変ホ長調 4分の4拍子 Moderato

ファンファーレのような短い序奏で始まります。

最初の主題は付点音符のリズムによるとてもリズミックな旋律です。

トリオはやはり下属調の変イ長調です。トリルの入ったアウフタクトで始まる優美な旋律です。(演奏

備考  

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子供の行進曲ト長調D928

作曲

1827年 10月11日(30歳)

初演

1827年 11月4日、グラーツのカール・パハラー家において

出版

1870年 J.P.Gotthard社(ウィーン)(No.53)

 1827年6月12日、シューベルトはグラーツのパハラー夫人に手紙を書きました。

 「敬愛する奥様 イェンガーあての手紙であなた様のご親切なお申し出を知りました。私ごときが果たしてご招待を受けるに値するのか、あるいはそれに報いることができるかどうかわかりませんが、、あの名高いグラーツ を目の当たりにし、皆様とお近づきになれるという光栄に浴するとあっては、ご好意を受けないわけには参りません。 最大の敬意をはらいつつ フランツ・シューベルト拝」(「シューベルトとウィーン」p265)

 死の年の前年のこの頃はシューベルトの名声もだんだん確立してきました。パハラー夫人はベートーヴェンとの交流もあった音楽愛好家でした。グラーツシュタイアーマルク音楽協会のメンバーであるイェンガーを通して、シューベルトを自分の家に招待しました。この年の9月3日にグラーツを訪れ、パハラー家に滞在しました。

 9月20日までの約2週間の滞在はシューベルトにとってとても快適なものだったようです。27日にシューベルトはパハラー夫人に礼状を書いています。

 「グラーツの生活が快適であったことを今実感しています。 ウィーン暮らしはなかなかしっくり行きません。町が少しばかり大きいせいもあるのでしょうが、真心や率直さに欠け、本物の思想や分別のある言葉にはめったにお目にかかれず、機知に富んだ行動も見られません。自分が利口なのか馬鹿なのかも判らなくなるほど、のべつまくなしにおしゃべりをし、その癖心の底から楽しい気分になることはまずないのです。私の打ち解けない性格のせいでそうなるのだから、おそらくその責任の大半は私自身にあるのでしょう。グラーツではすぐに、自分が有りのまま自然に振舞っていることが判りました。もっと長く滞在すれば、それがきっと当たり前になったことでしょう。中でも奥様や力持ちの「パハレロス」氏、それに小さなファウスト君が、私に寄せてくださった温かいおもてなしは、決して忘れることが出来ません。私の心からの感謝の気持ちをお伝えしたく、筆をとりました。   いつまでも忠実な フランツ・シユーベルト」(「シューベルトとウィーン」p268)

 ここで紹介する「子供の行進曲」はこの手紙に出てくる当時8歳の「ファウスト君」のためにかかれたものです。シューベルトはパハラー夫人に、パハラー家の当主カール・パハラー博士の聖名の祝日に演奏する連弾曲を依頼したのでした。シューベルトはウィーンで作曲をし、10月12日に手紙とともにパハラー夫人に楽譜を送りました。

 「ここに慎んで、小さなファウスト君のための四手の作品を同封します。彼にはぴったりの曲だと思いますが、気に入ってもらえるか心配です。(後略)」

ト長調 4分の2拍子

  はつらつとした分散和音的なテーマに始まる24小節の主部と、3連符の愛らしいテーマの24小節のトリオからできています。(演奏

備考 オリジナルはウィーン楽友協会所蔵

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