1828年

1月  3日 ウィーン楽友協会イブニングコンサートで『ノルマンの歌』D846等が演奏される。

『冬の旅』第1部を出版

2月  ウィーンのプロープストとマインツのショット社からなどの、出版の依頼が相次ぐ。
3月 交響曲第8番完成。ウィーン楽友協会に譲渡。

26日 午後7時より、自作演奏会が催される。場所はオーストリア音楽協会所属『赤いハリネズミ』ホールで行われる。

4月  
5月  
6月 ラハナーと下オーストリアのハイリゲン・クロイツ修道院に出かけオルガンを弾く。
7月  
8月 『白鳥の歌』に着手(第1〜13曲、レルシュタープとハイネの詩)。
9月 健康がすぐれず、医師の勧めで、兄のフェルディナンドの住居に部屋を借りる。
10月 初旬 アイゼンシュタットに徒歩旅行する。ハイドンの墓所を詣でる。

31日 レストラン「赤十字亭」で兄たちと魚料理の食事をする。これが原因で体調を崩す。

11月  3日 ウィーンのヘルナス(ヘルンアルザー)教会で、兄フェルデイナンドの「レクイエム」が初演される。演奏の後、フェルディナンドと合唱指揮者、シューベルトで3時間ほど散歩をして、この曲について楽しんで語り合った。

 4日 ゼヒターに対位法のレッスンを受ける。

11日 ベッドに寝たきりとなる。『冬の旅』第2部を校正する。

12日 ショーバーに手紙を書く。

14日 友人たちがベートーヴェンの弦楽四重奏曲作品131(第14番)を演奏する。

16日 医師が「腸チフス」と診断する。

19日 高熱とうわごとが続いた後、午後3時頃、息を引き取る。

21日 マルガレーテンの聖ヨーゼフ協会で葬儀が行われる。

ヴェーリング墓地に埋葬。

12月 23日 聖アウグスティヌス教会で盛大な追悼式典。
bullet公的な演奏会で作品が12回取り上げられた。
bullet新聞に11回の作品広告が出た。
bullet離れていた友人全員がシューベルトと時を過ごす。
bullet4年ぶりにショーバーの朗読会が再開する。
bulletハイネの詩を知る。
bullet春に『楽興の時』が出版される。

戻る ホーム 上へ